チャーチルの銅像Photo:PIXTA

第2次世界大戦でイギリス首相を務め、ナチスドイツに勝利したウィンストン・チャーチル。その功績はあまりに有名ですが、首相就任までの歩みは、第1次世界大戦での軍事作戦の失敗や度重なる落選、経済政策の失敗など、挫折や“左遷”の連続であったことは、あまり知られていません。苦難の中でも人生を充実させ、信念を曲げなかった生涯から私たちが学ぶべき点は、数多くあります。(関東学院大学国際文化学部教授 君塚直隆)

公爵家に生まれ、父は財務大臣を経験
絵に描いたような“お坊ちゃま政治家”

 イギリス元首相のサー・ウィンストン・チャーチル(1874~1965年)。この名前を聞いてみなさんは、どのようなイメージを持たれるでしょうか?

 2017年度のアカデミー賞で主役を演じたゲイリー・オールドマンが、見事な演技で主演男優賞を獲得した映画の副題にもある通り「ヒトラーから世界を救った男」というイメージでしょうか。

 あるいは名文家として優れ、1953年に『第二次世界大戦』でノーベル文学賞を受賞した、多才な政治家のイメージでしょうか。

 チャーチルは、イギリスでも名門の貴族マールブラ公爵家に生まれました。彼のご先祖は、スペイン王位継承戦争(1701~14年)で大勝利を収めた軍人であり、チャーチル自身もこのご先祖様の伝記を書いており、ゆくゆくは自分もご先祖様のように…と思っていたのかもしれません。

 そのご先祖が、アン女王(これまた2018年度のアカデミー賞で主演女優賞を獲得した『女王陛下のお気に入り』の主人公)から戦勝祝いにプレゼントされたのが、ブレナム宮殿でした。その敷地は2000エーカーあり、日本でいえば、東京都台東区と同じくらいの大きさとなります。

 浅草の観音様も上野動物園もすっぽりと収まってしまうような敷地内に立つ巨大な邸宅には、186もの部屋がありました。1987年にはユネスコの世界遺産にも登録されていますが、チャーチルが生まれたのはそのようなお屋敷だったのです。

 父親は財務大臣で、母親はアメリカ生まれの大富豪の娘。チャーチル自身も父親に憧れて政治家を志し、25歳で庶民院(下院)議員に初当選を果たします。所属する政党は、これまた父と同じ保守党でした。

 ところが、議員になってわずか4年で、チャーチルは保守党を離れる決意をします。このとき党内にはアメリカやドイツが工業力でイギリスを凌駕するようになったのを危惧して、保護貿易政策を唱える勢力が出てきており、根っからの自由貿易論者だったチャーチルは、同じく自由貿易を提唱する自由党へとくら替えします。