地図は、現実の世界をそのまま縮小したものではない。複雑な地形や歴史情報から何を選び、何を省き、どう見せるか。その判断の積み重ねで、読みやすさは大きく変わる。とくにアルプスのような山岳地帯では、標高や谷、峠、都市、街道を一枚の平面に落とし込むのは至難の業だ。では、そうした地図をなぜ専門ソフトではなく、Wordとペイントで作るのか。本稿では、『地図で学ぶ深読み世界史』の著者、伊藤敏氏に地図制作の手順や資料の見比べ方、正確さと見やすさを両立させる工夫、さらに使い慣れた道具にこだわる理由を聞いた。

複雑な地図をWordとペイントで作る! 専門ソフトを使わない意外な理由Photo: Adobe Stock

「山の高さ」と「通れる道」を1枚にどう描くか

 地図を作るうえで難しいのは、複雑な地形を、限られた平面の中でわかりやすく表現することである。なかでも山岳地帯の地図は、単に山の形を描けばよいわけではない。どこが高く、どこが低いのか。どの場所なら越えることができ、どのルートが交通路として使われてきたのか。そうした情報を、ひと目で理解できるようにしなければならない。

 たとえばアルプス山脈の地図では、山脈全体を大きな山の塊として描くだけでは不十分である。アルプスは、ヨーロッパを南北に隔てる巨大な障壁である一方、いくつもの峠道を通じて人や物が行き来してきた場所でもある。そのため、山の高低と交通ルートの両方を表現する必要がある。

 しかし、山の高低を二次元の地図で示すのは簡単ではない。等高線を細かく入れれば正確になるが、線が増えすぎて、都市や街道などの情報が見えにくくなる。反対に、地形を単純化しすぎると、なぜその場所に道が通っているのかが伝わらない。

 そこで重要になるのが、標高による色の塗り分けである。低い場所から高い場所へと色を段階的に変えることで、山の起伏を視覚的に伝えることができる。ただし、色を細かく分けすぎても、違いがわかりにくくなる。地形の正確さを保ちながら、どこまで情報を整理するか。その加減が難しいところである。

 山岳地帯では、交通路の描き方にも注意が必要である。地図上では、二つの都市を線で結ぶだけなら簡単に見える。しかし、実際の道は、山をまっすぐに越えているわけではない。谷を通り、比較的標高の低い場所を選びながら、峠を越えていく。地形と無関係に線を引いてしまうと、実際には通ることのできないルートに見えてしまう。

 そのため、まず山脈や谷の位置を確認し、そのうえで都市や峠、街道を配置していく。参考にするのは、歴史地図や地理関係の書籍だけではない。現在の地形図や海外の資料なども見比べながら、ルートを確認していく。一つの資料だけで完成させるのではなく、複数の情報を重ね合わせる必要がある。

見やすい地図をつくるカギは「何を載せないか」

 反対に、比較的描きやすいのは、海上交通路を示す地図である。もちろん海にも海峡や沿岸地形などの制約はあるが、山岳地帯の街道に比べれば、ルートを大きな視点で捉えやすいからである。港と港の位置を確認し、その間をどのような経路で船が移動するかを示すことで、全体の流れを表現できる。

 とはいえ、描きやすい地図であっても、情報を入れすぎると見づらくなる。港や都市の名前を増やしすぎれば、肝心の航路が埋もれてしまう。地図を作る際には、情報を加えることだけでなく、何を載せないかを決めることも大切である。

なぜ専門ソフトではなくWordとペイントなのか

 地図制作では、複数のソフトを作業に応じて使い分けている。まず、白地図や地形図など、もとになる画像を用意する。国や地域を色分けする場合には、ペイントソフトを使って領域を塗っていく。そのうえで画像を文書作成ソフトに貼り付け、都市名や地名、国境線、交通ルートなどを重ねていく。

 線や文字、記号を加える作業に、私はWordとペイントを使うことが多い。都市の位置に印を付け、地名を置き、国境線やルートを一本ずつ引いていく。Wordやペイントは本来、地図を作るためのソフトではない。しかし使い慣れていれば十分に地図を作ることができる。

複雑な地図をWordとペイントで作る! 専門ソフトを使わない意外な理由出典:地図で学ぶ「深読み」世界史

 PowerPointやIllustratorなど、図を作るのに適したソフトもある。実際に別のソフトを試してみても、最終的には使い慣れたWordとペイントに戻った。複雑な地図を作る場合でも、ソフトが変わったからといって、都市や道路を一つずつ配置する作業そのものがなくなるわけではない。

 地図作りで重要なのは、高度なソフトを使うことではなく、伝えたい情報を整理することである。山の高さをどのように表すのか。街道をどこまで正確に描くのか。どの都市を載せ、どの地名を省くのか。そうした判断の積み重ねが、地図のわかりやすさを左右する。

 地図は、現実の世界をそのまま縮小したものではない。複雑な地形や歴史的な情報の中から、必要なものを選び、見える形に置き換えたものである。とりわけ山の高低を扱う地図では、正確さと見やすさの間で、何度も調整を重ねる必要がある。

 どれほど詳しい地図であっても、見た人が内容を読み取れなければ、情報は伝わらない。地形の複雑さを残しながら、できるだけ直感的に理解できるようにする。そのバランスを探ることが、地図作りにおける最大のこだわりなのである。