「東京五輪やめろ!」の大合唱に感じる危うさ、賛成派が世論に今訴えたいことPhoto:Diamond

オリンピック中止を叫ぶ「気持ち」は理解できる。連休明けに緊急事態宣言延長が発表されたときには、私も「さすがにもう東京五輪開催は無理だろう」と思った。だが7割とも8割ともいわれる国民がこぞって反対するほど合理的な理由はあるのだろうか?(作家・スポーツライター 小林信也)

どうして東京五輪に矛先を向けるのか?

 政府のコロナ対策の不足や不手際に対するいら立ちが募っている。コロナに対してほとんど何もできていない(と思える)政府が強硬にやりたがっている東京五輪になんか賛成してたまるか、という憤りが根底にあるような気がする。

 だとすれば、とんだ「言いがかり」ではないか。東京五輪に罪はないのに、まるで東京五輪がコロナ禍の要因か、今後感染を広げる元凶であるかのように反対ムードが広がっている。

 4月30日に東京・立川にある病院が窓に『医療は限界 五輪やめて! もうカンベン オリンピックむり!』と貼り出した。「最寄りの病院の叫び」としてツイッターでもこれが投稿されると20万件以上の「いいね!」がついたと話題になった。

 しかし、立川のこの病院の疲弊の要因は東京五輪なのか?東京五輪を開催したら、さらなる影響を受けてこの病院の医療体制は崩壊するのだろうか?他の理由がないのか、冷静に考えるべきだ。

 医療従事者の疲弊や不満の矛先が「東京五輪」に向くことが正当化されるのは、おかしい。東京五輪を悪者にしても許される空気がいま日本にはある。そういう社会の空気、世論形成のあり方はとても危険だと思う。