株式投資よりアパート1棟経営がFIRE(経済的自立と早期退職)への近道!
不動産投資を始めて5年、アパート7棟を保有、資産7億5000万円を築いた。目標は、40歳までに資産100億円を築くこと。経済が疲弊した愛着のある地元を自分の力で再生する資金作りのためだ。現在、年間家賃収入7000万円、年間キャッシュフロー(手元に残るお金)2000万円を得ている『元証券ウーマンが不動産投資で7億円』の著者が、知識ゼロから不動産投資で安定的に資産を増やせる方法を徹底指南する。
野村證券の社員だった20代の頃、不動産投資に目覚めた。仕事柄、株式投資のノウハウはあったものの、不動産投資はズブの素人。不動産投資に関する本を100冊以上読むところから始め、不動産会社を50社以上巡ったものの、不動産投資初心者の20代OLはナメられ、まともには相手にされなかった……。
その1年後、ついに運命の1棟目に出会う。4500万円を超える金融機関からの借入金にも、一切ためらいはなかった。ローンを抱える怖さより、「これでようやくスタートラインに立てた!」という興奮のほうがはるかに大きかった。それは不動産投資で成長できると思っていたから。
とんとん拍子で物件を増やしている凄腕ウーマンの「不動産投資で勝つ6つの力」を徹底解説。FIRE(経済的自立と早期退職)を果たした多くの人が展開している不動産投資の極意がわかる。
知識ゼロからの不動産投資
私は都内の女子大を卒業後、野村證券に入社しました。
もともと金融リテラシーはほぼゼロ。
後ほど詳しく説明しますが、「お金の勉強をしたい」という思いもあって証券会社に入社したのです。
配属先は出身地である愛知県の支店でした。
そこで営業ウーマンとして、過酷なノルマを背負って駆けずり回る毎日。当時の日々のノルマは、飛び込み営業50件、電話営業150件、アポイント5件。営業は、「ソルジャー」(兵隊)と呼ばれていました。
毎日飛び込み営業をして、同じ客先に名刺を置き続け、私の名刺が50枚ほどたまった頃にやっと話を聞いてもらえる……そんな過酷な毎日での過労がたたり、救急車で運ばれたことが4回もありました。
そんな日々でしたが、新人にして東海地方で営業成績1位となって、社内で最年少のセミナー講師に抜擢されたこともあります。
しかし、入社4年目の2017年、私は会社を辞めました。仕事がイヤになったわけではありません。
不動産投資に専念するため、退職したのです。
働きながら不動産投資をはじめたのは入社3年目、26歳のときでした。
生活費を削りに削って貯金した自己資金250万円を元手に不動産投資をはじめ、そのわずか2年後には、会社員の年収をゆうに超える不動産収入を得るようになっていたのです。
2021年5月現在、資産約7億5000万円(投資総額約6億円)。出身地の愛知、それに東京・千葉にアパート6棟(68室)とテナントビル1棟を所有し、年間家賃収入7000万円、諸経費や借入金の返済を差し引いた年間キャッシュフロー(純現金収支=手元に残るお金)2000万円を得ています。
1989年愛知県西尾市生まれ。2013年大学卒業後、野村證券入社。配属された東海地方で新人にして営業成績トップとなり、社内最年少でセミナー講師に抜擢される。出身地の経済が疲弊し、愛着ある海辺のホテルが過疎化の影響を受けて売却されることを知り、将来的に自分の手で地域活性化をするという大きな目標を掲げ、その資金獲得のため不動産投資をはじめる。40歳までに資産100億円を築き、財団を設立して地元を活性化するのが目標。当初は不動産投資本を100冊以上読破するなど勉強しつつ、不動産会社を50社ほど回って物件を探したものの、まったく相手にされないという試練の日々を送る。不動産投資の勉強会で知り合ったセミナー講師に持ちかけられた投資話に騙され、100万円を失ったことをきっかけに「現物を見られないものには投資しない」ことを学ぶ。2015年、26歳で1棟目となる中古1棟アパートを購入。その後も1棟買いを続け、入社4年目に退社。現在は7棟68室(総資産7億5000万円)のオーナーとして、年間家賃収入7000万円、年間2000万円のキャッシュフロー(手元に残るお金)を得ている。日本証券業協会一種外務員資格、2級ファイナンシャル・プランニング技能士。2021年夏に有料メルマガ「お金ビギナーのためのマネ活部」をスタート予定。お問い合わせ等は、こちらのアドレスまで(info-emily@diamond.co.jp)。