おまえはすぐ外見でヒトを判断する。私に対してそういう批判が多い。確かにそうだが別に反省しない。ヒトは外見に現れるものだと思っている。

 たとえば、こういうことを実験してみよう。鏡を前にして、鼻の上部、両目の間をつまむ。どうですか。あなたの顔がちょっと変わりましたね。どう変わったかと言えば、「金に厳しい顔」になった。テレビなどでお金にまつわる話をしている人たちを見てみよう。その大半の人がその「金に厳しい顔」になっている。なぜか目と目の間が狭くなって見えるのだ。一日中お金のことばかり考えていると、何もしなくても「金に厳しい顔」になっていくのかもしれない。日頃のちょっとしたことが外見に影響を与えていくのではないだろうか。

 あの子、若いころ美人だったのに、嫌な顔になったね。そんな話をたまに聞く。嫌な顔になったという人はたいてい嫌なヤツになっていることが多いのだ。内面や行動が外見に表れていくのではないか。

 女性は誰でも「美人のもと」を持っていると思う。これを十分に活かしている人が美人でいられるのだろう。ところがこの「美人のもと」はワレモノというか取扱注意というか、非常に傷つきやすく減りやすいもののように思う。

 若い女性における美人比率とオバサンにおける美人比率を比べてみると、若い女性の方が勝つだろう。この人は美人だったはずなのに、今は美人とは言いがたいというオバサンは結構いる。そう考えていくと、女性の中の「美人のもと」が年々減っていくのではないかと思う。油断すると「美人のもと」は減っていく。「美人だ」と、もてはやされている有名人でも、内面や行動が悪いと次第に美人ではなくなっていく。「美人のもと」が減っていった結果であろう。

 気をつけよう。「美人のもと」を死守しよう。美人があふれる社会にしよう。とはいえ、具体的にどうすれば、いいのだろう。科学的に「美人のもと」が証明されていないので、「美人のもと」が減っていくだろう瞬間を考えていきたい。