進行の食道ガンステージ3を生き抜いたジャーナリストの金田信一郎氏が、病院と治療法を自ら選択して生き抜いた著書『ドキュメント がん治療選択』。本書で金田氏が東大病院(東京大学医学部附属病院)から逃亡し、メディアにも一切出ない“神の手”を頼って転院した先が国立がんセンター東病院でした。東病院に転院後も、金田氏は外科手術を土壇場でやめて、放射線治療へと切り替えます。なぜそんなことができたのでしょうか。第2回はがんの治験が国際化する中で、日本の新薬開発が何周遅れにもなったそうです。どん底から、どのように日本勢が巻き返してきたのでしょうか。国立がんセンター東病院の病院長に聞きました。(聞き手は金田信一郎)
■がんセンター東病院長の「がん治療選択」01回目▶「がん治療で決定的な差! 国立がんセンター東病院に「診療科の壁」がない理由」
――前回のインタビューでは、ESD(内視鏡切除)を最初に実践したのも、この病院というお話しでした。最初の症例は胃でしたよね。
大津敦病院長(以下、大津) そうです。私が担当したわけではないんですけど、立ち会いました。放射線と抗がん剤の併用治療も、日本では草分けでした。
――それはいつ頃のことですか。
大津 開院して間もない頃です。新しい薬の治験もたくさんやっていました。(抗がん剤の)S-1もそうです。「こんな経口剤で効くの?」と思っていましたけれど、本当に驚くほど効きました。
2000年頃に分子標的治療薬が台頭してきます。がんは遺伝子の異常が積み重なって発生進展しますが、遺伝子解析技術が進歩して、その遺伝子異常に適した薬を開発するようになりました。残念ながら、「国際共同治験」という枠組みになった時に、日本は遅れをとってしまいました。
――なんで遅れてしまったんですか。
大津 治験が国際化していく中で、日本の施設が参加できず、新薬開発が何周遅れにもなってしまった。今のコロナワクチンの開発のような感じでした。新しく開発された薬剤を患者さんに届けることもできず、研究もすべて遅れるわけです。
2005~2006年頃に国際治験に参加し、私は海外で先端的な研究をする人たちと話をするようになって、考え方がかなり変わりました。それまでは承認された薬剤で治療するのが自分たちの研究(のやり方)でした。でも、国際的な治験に最初から入っていないと決定的に遅れます。最初に治験をするには、臨床だけではなく、基礎研究の視点が重要だと頭を切り替えられました。
日本は化合物の抗がん剤は強かったけど、分子標的薬の波が来て、さらに生物製剤的なものが開発の中心になった時、日本の研究は遅れてしまい、2005年ぐらいにはどん底に陥りました。そこから国際治験に積極的に入り出して、ようやく追いついてきましたが、10年はかかりましたね。
――それでも追いついてきたんですか。
大津 私はレジデントの時に少し基礎研究をやりましたが、その素養がないと、今の抗がん剤の開発研究にはついていけません。そこで、隣接する先端医療開発センターに優秀な基礎研究の先生たちが集まっているので、レジデントの先生が来ると、半年ぐらいそこを回らせています。
その先端医療開発センターも、2008年に私がセンター長になりました。それから、臨床検体や免疫を解析する基盤などをつくっていきました。大きく進んだのは、2011年に国の事業で、早期・探索的臨床試験拠点整備事業に選定されてからです。全国5施設の一つに選ばれて、事業費を国からもらえるようになって、本格的に基盤をつくり始めることができました。
それまで、この病院には本格的な臨床開発研究を実施する基盤がなかったのですが、今では企業との治験や共同研究を多数行っています。
単に企業から治験を受託するだけではなくて、医師が自ら考えて新薬の開発治験をする「医師主導治験」をできる体制をつくっています。臨床研究中核病院が大学病院を中心に14施設ありますが、臨床研究筆頭著者論文数は東病院がトップです。病院のサイズは一番小さいですが。
――大津先生が気づいて、遅れを取り戻した。
大津 例えば、今、日本はワクチンの開発が遅れていますよね。でも、ファイザーやモデルナ、アストラゼネカなどの外資ではコロナワクチンは、ベンチャー企業やハーバード大学、オックスフォード大学などの研究成果をもとにワクチンを作っているわけです。今の米国製薬企業の新薬の6~7割は自社以外のアカデミアやベンチャー企業のシーズ(薬の種)を取り込んで製造しています。
――東病院でいえば、隣で東大がゲノム研究をやっています。
大津 それは大きいですね。日本で承認されるがんの薬の多くは、この病院で治験をしています。今度、京都大学のiPS細胞を使ったがんの免疫細胞の治療を始めます。光免疫療法も実施していますが、これはNCI(米国立がん研究所)の小林(久隆)先生が開発した技術に、楽天の三木谷(浩史)さんが投資をしました。そこから光免疫療法が始まっている。日本での開発はこの病院で土井(俊彦)副院長と林(隆一)副院長が中心になってやりました。がんで発現している特定の分子に対して、抗体をくっつけて、近赤外線を当てて、がん細胞だけを消滅させる。
――頭頸部がんに使っている治療法ですね。
大津 はい。食道がんでも医師主導の治験を行っています。光免疫療法でも、別の抗体を開発している研究者もいます。
(2021年8月23日公開記事に続く)