最高の美を届けるビジネスがしたい
入社したのは、その頃ファッション・ジュエリーの販売で国内一位だった、一部上場の大手企業です。
変わったのが来たと面白がってもらったのか、中途の募集で採用してもらい、京都から東京へと引っ越し、勤め始めました。音楽の仲間たちとは、そのときに離れることになりました。
その会社には四年間勤めましたが、品質管理、納期管理、企画からマーチャンダイジング、営業、広報と、あらゆることを勉強することができました。
一度自分で大失敗をしていたからこそ、会社で学べるすべての知識や、すべての経験が心に刺さりました。水がスポンジに染み込むように、あらゆる事柄を貪欲に吸収できている実感がありました。
その企業は当時、フランスのパリにも店舗を出し、海外展開を始めていました。私の部署の隣が海外営業の部署でした。しかしそのメンバーと話すと、パリで自社のジュエリーがまったく売れないというのです。
西洋にルーツのあるジュエリーを、日本がいくらマネして持っていっても、誰も相手にしてくれないということでした。出店したパリの店舗も、実績を上げることができず、撤退していきました。
その話を聞きながら私は自然と、「海外で日本のブランドを売るにはどうすればいいのか?」を考え始めていました。
それまで音楽やファッションというフィールドで「最高に良いものをつくりたい」と思って邁進してきました。
その延長で自分の中に「最高の美を届けるビジネスがしたい」「そのためのプロデュースがしたい」という強い気持ちがあることに気がついたのです。