プッチーニの「ある晴れた日に」で1996年6月にクラシックへの扉を開けたのは作曲家の三枝成彰さんだったが、背中を押してステージでクラシックを歌うように強く促したのは2人の音楽家だった。1人は東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団のトランペット奏者、木村英一さん、もう1人は93年から99年まで同オーケストラの企画を担当していたピアニストの五月女京子(さおとめきょうこ)さんである。
女優は他者を演じ、歌手は自己を表出する
96年6月にオーケストラをバックに「ある晴れた日に」を歌ったことは連載第12回で紹介した。このオケでトランペットを吹いていた木村英一さんは本田美奈子さんのファンクラブ、ブルー・スプリング・クラブ(BSC)に入会し、同時にクラシックの歌唱にアドバイスし始めた。
一方、97年と98年は東宝ミュージカル「レ・ミゼラブル」と「屋根の上のヴァイオリン弾き」の公演が続き(文末の年表参照)、ミュージカルにおける本田さんの声価はどんどん上がっていった。
このころの全国紙の劇評は新聞によって濃淡はあるものの、すべて好意的である。「ミス・サイゴン」初演時の低評価とはガラリと変わっていた。当時の批評は連載第3回で紹介した。
98年の劇評にはこのような絶賛の記事まである(該当箇所のみ)。
「(略)コゼットを愛するマリウスの真意を知りながら、好きなマリウスのために尽くして死ぬエポニーヌ=本田美奈子が薄やみを突き刺すように歌う『オン・マイ・オウン』のシーンと、法の番人としてジャン・バルジャンをとらえることが正義と信じてきたジャベール=村井国夫が、バルジャンに命を救われたことで正義への忠誠心が揺らぎ、自殺する直前に歌う『ジャベールの自殺』シーン。この二場面が圧巻だ。『レ・ミゼ』の主役は、もしやこの二人ではと思うほど。(略)」(「産経新聞」1998年6月13日付夕刊)
「レ・ミゼラブル」を100回以上見た、という筋金入りのシアター・ゴーアーによると、この時期からエポニーヌ役のダブルキャスト島田歌穂さんと本田美奈子さんは甲乙つけがたくなっていたという。
98年末時点ですでに膨大な舞台を踏んでいた。「ミス・サイゴン」で18ヵ月、「屋根の上のヴァイオリン弾き」3ヵ月、「王様と私」1ヵ月、「レ・ミゼラブル」10ヵ月、7年間で計32ヵ月間舞台に上がり、ダブルキャスト分を差し引いても500回以上は本番を経験していた。