「エモ」で隠されているものはなにか

 このエモ文体は、たびたび「炎上」してきた。

 その中でも記憶に新しいのが、noteユーザーの島田彩氏が、大阪市の「新今宮エリアブランド向上事業」のPR記事として投稿した、「ティファニーで朝食を。松のやで定食を。」(2021年4月7日)である。

 この記事は島田氏が西成で出会ったホームレスの男性との交流を「ティファニーで朝食を食べるよりもずっと、私にとっては、贅沢な時間だった」と表現しており、最初は「心温まる」「一期一会」「ほっこりする」などと絶賛され、企業の公式アカウントやインフルエンサーがツイートして話題になった。

 しかし、数日後、「醜悪」「グロテスク」と、一転して批判が殺到し、大炎上に発展した。

 なぜこのような事態になったのか。さまざまな視点の批判はあったが、筆者は“内容と文体の不釣り合いさ”が反発を招いた大きな要因であるように思う。

 この記事を先ほどのエモ文体の特徴に照らし合わせると、次のように分析できる。

●ひらがなの多用、独特の漢字のひらき方
 冒頭を一読するだけでも多い。
「私は先日、ひとりの男の人と一日を過ごした。」(一人→ひとり)
「ふつうにデートだと思う。」(普通→ふつう)
「ただひとつ、ふしぎなのは、私もその人も、お互いの名前を一切、呼ばないこと。」(不思議→ふしぎ)
●どことなく幼い描写
「ここはニッカポッカが3本見える。常連さんっぽいな。こっちは歌にあわせて、革靴がハイヒールとイチャイチャしてる。邪魔しちゃいけないな。」
●内容の想像できないタイトル
野宿者の男性との交流を「ティファニーで朝食を」に絡める

 この記事に対するネット上での感想を追っていて興味深かったのは、「ゲスなことをやっているのに、ゲスな書き方をしないのが恐ろしい」といったものだ。

 しかし「ゲスなこと」を、エモ文体でふんわりとつつむと、途端に「いい話」になる。一見「いい話風」に見えるのが、エモ文体の特徴であり、文体と内容との乖離が、読者の違和感や反発を招いた要因といえるのではないだろうか。

 エモ文体それ自体が批判されたというより、その内容および内容と文体の不釣り合いさが批判の根源にあったと感じる。