10月12日、東京・内幸町の帝国ホテルで開かれた第一三共元会長・故森田清氏の「お別れの会」には、昼過ぎから降り出したにわか雨にもかかわらず、700人近い追悼者が訪れた。アステラス製薬の誕生を号砲に「業界再編」の嵐が沸き起こるなか、出身の旧第一製薬を“持参金”に三共との経営統合を曲がりなりにも成し遂げ、初代会長を経て相談役に退いた後も、長きにわたって同社内に影響力を持った人物であった。
故人の遺功を偲ぶセレモニーは、第一三共の主催によって行われたが、会場を訪れた業界関係者の証言によれば、喪主が森田家ということもあり、会社側、なかんずく旧三共の出身である眞鍋淳社長CEOはどことなく、居心地悪げな雰囲気を醸し出していたという。
第一三共という会社に際立つ経営トップの「たすき掛け人事」と、その副反応とも指摘できる社長経験者や顧問、相談役らによる「院政」は、いまに始まったことではない。それは森田―庄田隆時代より臆面もなく露呈し、周到に続いてきた。さらに、遠慮しがちな社長と対照的に長老が暴走しやすい企業風土の元凶を遡れば、旧三共の経営を揺るがした「河村親子」事件後のガバナンス再構築時の不徹底に突き当たる。