連載タイトルの「2.2坪」は、焼肉屋「六花界(ろっかかい)」の実面積。東京・神田駅の東口から徒歩30秒。飲食店がひしめくサラリーマンと金融の街「神田」のガード下に、2.2坪の焼肉店が生まれました。四畳半程度のスペースの中に、厨房もトイレも客席も全部ある、めちゃくちゃ狭いお店。「2.2坪? やめとき! 無理無理! そんな狭い飲食店ないもん!」……誰に話しても否定の言葉ばかり浴びせられる毎日。ところが、今や「狭さ」「不便さ」を逆手にとった戦略が注目を浴び、12年経った今でもTVやメディアで取り上げられ続けており、「和牛+和酒」「立ち食い焼肉」「知らない人と七輪共有」「タレ肉は出さない」などストーリーのある焼肉店として話題に!「私語禁止、撮影禁止、スマホ禁止」「SNS投稿禁止」「完全紹介制」「支払いではなくお月謝」「女性だけしか予約の取れないお店」「プロジェクションマッピングも活用した劇場型焼肉店(クロッサムモリタ)」など、誰も思いつかなかったようなオンリーワンなコンセプトで超予約困難店に! そんな食通たちをうならせている森田隼人の奇想天外な発想と経営哲学、生き方がわかる注目の1冊が、『2.2坪の魔法』。今回のテーマは、2.2坪の激セマ焼肉店はなぜお客様が入るたびに全員で「乾杯」するのか?! です。(撮影・榊智朗)
初めてのお客様には「ようこそ」の意味。
二回目からは「おかえり」の意味
六花界では、お客様にお越しいただいたら必ず全員で乾杯をします。
誰でも例外はなく、全員で乾杯するのが「六花界スタイル」。本日一番目の乾杯を狙う人もいるくらい人気がある乾杯の儀式です。僕にとって乾杯は「握手と礼節」。初めてのお客様には「ようこそ」の意味。二回目からは「おかえり」の意味。オープン直後の時間帯は、ずっとお客様と乾杯の挨拶をしています。
「それでは皆様、新しいお客様が来られたので乾杯しましょう! グラスを手に、お疲れ様です! 乾杯~!!」
このかけ声で、皆様の六花界が始まります。
まずは入店後、タイミングを見て本日のおすすめの日本酒から一杯選んでいただき、僕の音頭でお声かけをします。1時間に30回以上する日もありますから、おそらく1年間でもっとも日本酒で乾杯をしているのは僕だと思います。
なぜ、乾杯をするのか? 日本人は人と人との心の距離の縮め方にとても礼節を持っています。急に人様の心に踏み込んだりしません。島国独特の発達をした日本の礼節こそ、世界基準としても注目されています。そして今日も無事に生きられたことに感謝をして、まずは「乾杯」をするのです。
六花界は2.2坪しかない小さな世界です。2台しかない七輪を譲り合いながらお肉を焼きそれぞれの心の距離を縮め、そして立場も関係なく会話を楽しんでいただく空間です。
つまり一個の「小さい地球」でありたい。そこには国境はなく、文化の違いや差別もない。どんな人が来ても日本の武道や茶道の礼と同じように乾杯をする。一期一会。
しかし、本当のところをお話しすると、六花界の構想段階では乾杯の儀式を行う予定はありませんでした。なぜ今のようになったかというと、忘れもしません。それは、六花界オープン当日のことでした。
来るかどうかもわからない「一人目」のお客様を待つために、僕はお客様のふりをして、お肉の脂を焼いた煙をうちわで外に出して、大声で「この店の肉、うまいなぁ~!」とサクラの演技をしていました。
やがて、最初のお客様が入ってくださったのですが、僕のことを先にいた客だと思っていたようです。自分が「店長だ」と伝えると
「なんでそんなことしてるの!?」と。
「実は今日オープンしたばかりです。ご覧の通り、お客様がまだ誰もいらっしゃらないのでお客のフリをしていました……」と、ちょっと恥ずかしい気持ちを伝えると、お客様が
「え!? 今日開店っ!? お祝いのお花とかないの!? すごいね! とにかくオープンおめでとう!」
と僕にお祝いの日本酒を奢ってくれて、「乾杯しよう」と言ってくれました。
めっちゃ嬉しかったです。それまでのサラリーマン生活にはない感動でした。特に公務員には収賄の問題もあり、人から何かをご馳走していただくことは絶対にNGでしたから、それはそれは言葉ではあらわせない感動でした。
なので、その日は嬉しくて来るお客様、来るお客様に「本日オープン記念日」だと伝えて乾杯していただきました。本当に最高のオープン日でした。
気分をよくして翌日も同様に、「昨日オープンしたので、一緒に乾杯しましょう」と同じテンションで最初のお客様に伝えたのですが……驚くべき言葉が返ってきました。
「静かに飲みたいから」
はっきり断られたのです。たった1日で乾杯の儀式はなくなりました。最高の気分は一気に吹き飛び、しょんぼりしたままその日の営業を終えました……(笑)。
そしてまた次の日、オープン3日目。なんと、初日に乾杯してくれたお客様がまた来てくださりました。僕がしょんぼりしているのを見て開口一番、
「あれ? 今日は乾杯しないの?」
と言ってくれたのです。思わず前日にあったことを話したら、
「森田くんはどうしたいの? やりたいようにしていいんだよ」
と言ってくださいました。
そこで初めて、「自分の好きにしていいんだ」と学んだのです。ここまで誰に否定されてもくじけずに立ち食い焼肉「六花界」を作ってきたのに、たった一人のお客様に言われた言葉で僕はくじけてしまっていたのです。それほどお客様の言葉には力があるんです。
同時に「選ぶ勇気」が必要なことも知りました。最大の「気づき」を与えられました。
あの時のお客様の言葉で、今の六花界があります。
その時の感謝の気持ちが今もずっと続いており、いらっしゃるお客様全員と乾杯して、
「ようこそ、ありがとう」
という気持ちを伝えることが、六花界での僕の初心であり、オープン初日の「おもてなし」を忘れない儀式なのです。
そしてその乾杯一つで、六花界という「小さい地球」は、今日も幸せな気持ちで満たされているのです