北条氏が鎌倉幕府で大出世できたワケ、形勢逆転した「ある出来事」源頼朝と北条政子の銅像 Photo:PIXTA

2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、鎌倉幕府の実権を握っていた北条氏が描かれる。そもそも中小豪族だった北条氏が、幕府の実権を握るまで上り詰めることができたのはなぜなのか。その背景には、時に家族をも巻き込んだ強かで非情な権力争いがあった。(歴史学者 濱田浩一郎)

中小豪族の北条氏が
大出世を遂げた理由とは

 鎌倉時代、北条氏が執権として鎌倉幕府の実権を握っていたのは周知のことである。

 北条氏は、もともと伊豆国の中小豪族であった。その中小豪族が、幕府の実権を握るまでに出世できた理由の一つは、やはり源頼朝との関係性にあろう。頼朝の妻は、ご存じのように北条政子。北条時政の娘である。

 時政は、はじめは娘の結婚に反対したという説もあるが、後の世から見れば、頑強に反対してご破算にしなくて良かったと言えよう。幕府の初代将軍・頼朝との縁戚関係がなければ、北条氏がここまで出世する事はなかったと推測されるからだ。

 頼朝は治承四年(1180年)、平家打倒のため挙兵するが、その傍らには北条一族の姿があった。もちろん他の豪族も頼朝に加勢はしたが、頼朝が最も信頼したのが時政だったと言われる。