濱田浩一郎

濱田浩一郎

歴史学者・作家・大阪観光大学観光学研究所客員研究員

はまだ・こういちろう/1983年大阪府生まれ。皇學館大学文学研究科国史学専攻単位取得退学。兵庫県立大学播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(新人物往来社)、『日本人のための安全保障入門―憲法九条を中心に―』(三恵社)、『日本人はこうして戦争をしてきた』(青林堂)、『超訳 橋下徹の言葉』(日新報道)など著書・共著多数。

大河ドラマ『べらぼう』で描かれない「天明の大飢饉」の恐ろしすぎる実態とは?
濱田浩一郎
江戸時代中期、江戸の三大飢饉の一つである「天明の大飢饉」が発生した。舞台の大河ドラマ『べらぼう』でも、米価高騰などの状況が描かれている。多くの死者を出した大飢饉。ドラマには描けないほど、すさまじい惨状だったという記録がある。
大河ドラマ『べらぼう』で描かれない「天明の大飢饉」の恐ろしすぎる実態とは?
【光る君へ】藤原道長が恩人に激ギレ!喜怒哀楽が激し過ぎる絶対的権力者の素顔
濱田浩一郎
大河ドラマ『光る君へ』で主要人物として登場する藤原道長。平安時代、栄華を極めた道長は、どんな人物だったのでしょうか。歴史書からは、喜怒哀楽の激しいキャラクターであったことが伝わってきます。絶対的な権力を持った道長ですが、意外なことに「よく泣く」人物だったとか。エピソードとともに道長の人物像をひもといてみましょう。
【光る君へ】藤原道長が恩人に激ギレ!喜怒哀楽が激し過ぎる絶対的権力者の素顔
【光る君へ】清少納言はイケメン好き?枕草子に書かれた「罪深い」考えとは
濱田浩一郎
『光る君へ』にも登場する清少納言。『枕草子』の作者として知られる彼女は、どんな人物だったのか。清少納言の知られざる素顔とは。『枕草子』からひも解いてみましょう。
【光る君へ】清少納言はイケメン好き?枕草子に書かれた「罪深い」考えとは
「日本最後の仇討ち」で死罪が急転直下の減免…その裏にチラつく“歴史上の超大物”とは?
濱田浩一郎
幕末に父を斬殺された遺族たちは、中世以来の武士の慣行にならい、仇討ちに奔走。維新後の明治4年に本懐を果たした。庶民も役人も彼らのサムライぶりを褒め称えたが、明治に制定された刑法によれば、ただの大量殺人でしかない。死刑を待つ身となった彼らが頼った相手は、西郷隆盛だった。
「日本最後の仇討ち」で死罪が急転直下の減免…その裏にチラつく“歴史上の超大物”とは?
「日本最後の仇討ち」に及んだ遺族の兄弟が“復讐届”にぶちまけた恨み節とは?
濱田浩一郎
幕末の赤穂藩では、尊王攘夷を掲げる「赤穂志士」たちが高官を斬殺した。不憫なのは被害者の一族である。対立していた勢力が藩の実権を握ったことで、斬られた村上真輔は、「不忠不義」のレッテルを貼られ、遺された息子たちは藩の監視下に置かれた。復讐の心を燃やしつつ時期を待ち続けた村上兄弟が立ち上がったのは、幕府が倒れて維新がなった明治3年のことだった。
「日本最後の仇討ち」に及んだ遺族の兄弟が“復讐届”にぶちまけた恨み節とは?
「日本最後の仇討ち」に至る遺恨を残した幕末・赤穂藩の要人暗殺…別の事件と奇妙な一致も
濱田浩一郎
「尊皇攘夷」(=天皇を戴いて外国勢力を撃退する)のスローガンが日本中に広がっていた幕末。赤穂藩の藩政改革に燃える下級藩士・西川升吉は、尊攘の同志たちと語り合い、藩の中枢幹部を暗殺した。だがその過激な行動の裏には、同藩の権力闘争が横たわっていた。※本稿は、濱田浩一郎『仇討ちはいかに禁止されたか? 「日本最後の仇討ち」の実像』(星海社新書)の一部を抜粋・編集したものです。
「日本最後の仇討ち」に至る遺恨を残した幕末・赤穂藩の要人暗殺…別の事件と奇妙な一致も
「秀吉の遺言」に背いて炎上するも…徳川家康の“危機回避術”が流石すぎる
濱田浩一郎
波乱万丈な人生の中で様々な困難を乗り越え、天下統一を成し遂げた徳川家康。度重なる困難をどのように切り抜けたのか。天下人の一流の危機回避術から、対応力を読み解いてみましょう。
「秀吉の遺言」に背いて炎上するも…徳川家康の“危機回避術”が流石すぎる
織田信長「変人伝説」明智光秀に飲酒強要、諫めようと側近が自害、父の葬式で粗相…
濱田浩一郎
織田信長といえば、時代劇や歴史小説で「カリスマ的な英雄」として描かれることが多い。だが、信長が生きた時代に近い「江戸時代の歴史書」をひもとくと、決して豪快なだけではない一風変わった人物像が見えてくる。父親の葬式でお香を投げたり、下戸だった明智光秀に無理やり酒を飲ませたり――。もちろん創作が含まれている可能性が高いが、これらのエピソードは信長が、江戸時代にどのように認識されていたかを知る一助となるかもしれない。
織田信長「変人伝説」明智光秀に飲酒強要、諫めようと側近が自害、父の葬式で粗相…
豊臣秀吉は元ホームレス!?『どうする家康』で再脚光浴びる武将の“知られざる過去”
濱田浩一郎
大河ドラマ「どうする家康」における、俳優・ムロツヨシさんの怪演で注目が集まる豊臣秀吉。非常に著名な武将だが、実はその出自ははっきりしない。「若いころはホームレスだった」「百姓をしていた」など諸説あるが、実際はどうだったのか。歴史学者の筆者が、史料をもとに読み解いていく。
豊臣秀吉は元ホームレス!?『どうする家康』で再脚光浴びる武将の“知られざる過去”
『鎌倉殿の13人』北条義時の悪妻「のえ」、夫亡き後の“悲惨な末路”とは
濱田浩一郎
2022年に放送されたNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は、主人公・北条義時の死をもって完結した。この作品では、後半から登場した北条義時の三番目の妻「のえ」が悪女として描かれ、ストーリーを盛り上げた。のえの本名は不明だが、「伊賀の方」という通り名で呼ばれている。自身の息子を執権、娘婿を将軍にするべく暗躍していたこの女性は、北条義時の死後、どんな末路をたどったのか。史料をもとに探る。
『鎌倉殿の13人』北条義時の悪妻「のえ」、夫亡き後の“悲惨な末路”とは
吉田松陰の老中暗殺計画が「幕府にあっさりバレた」意外すぎる理由
濱田浩一郎
松下村塾で数々の門下生を育てた幕末の志士・吉田松陰。その生涯は30歳にも満たない短さで、亡くなった理由は「斬首」によるものです。死罪に処された一因は「老中暗殺計画」が幕府に露見したことですが、その計画はなぜあっさりと発覚してしまったのでしょうか。松陰の遺書というべき著作『留魂録』や「辞世の句」につづられた、この世を去る前の心境とあわせて解説します。
吉田松陰の老中暗殺計画が「幕府にあっさりバレた」意外すぎる理由
源頼朝が義経を自ら討たなかった理由、権威を高めた「緻密な戦略」とは
濱田浩一郎
奥州藤原氏の最盛期を支え、源義経を庇護した藤原秀衡。しかし秀衡亡き後、奥州藤原氏は滅亡の道をたどっていくことになります。その背景には、源頼朝が自身の権威を増大させるための「緻密な策略」がありました。
源頼朝が義経を自ら討たなかった理由、権威を高めた「緻密な戦略」とは
源頼朝「アメとムチ」の人心掌握術、窮地の重臣・御家人に説いた言葉とは
濱田浩一郎
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、時に冷酷で厳しい“主君”たる姿が描かれている源頼朝。伊豆での流人時代を経て、数々の御家人たちを率いて鎌倉幕府を開いた背景には、頼朝ならではの「部下統率術」があったといえる。家臣たちに送ったとされる書状から、「リーダーとしての頼朝」の姿についてひもといてみよう。
源頼朝「アメとムチ」の人心掌握術、窮地の重臣・御家人に説いた言葉とは
源義経に敗れた木曽義仲に「粗暴なイメージ」が染みついた理由
濱田浩一郎
現在放送中の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも注目を集めた武将、木曽義仲。同時代を生きた平清盛、源頼朝、義経らと比べると地味な印象があるかもしれないが、義仲の生涯は鮮烈で波瀾(はらん)万丈なものだった。また、時代劇などでは「粗暴」なキャラクターとして描かれることも多い義仲。なぜそのようなイメージが定着したのか。義仲の功績とその生涯について解説しよう。
源義経に敗れた木曽義仲に「粗暴なイメージ」が染みついた理由
源頼朝と義経の兄弟対立に翻弄された「ある女性」の運命、悲しき結末とは
濱田浩一郎
源頼朝と義経、異母兄弟の対立に巻き込まれて苦悩した一人の女性をご存じだろうか。静御前――義経の愛妾である。頼朝と対立した義経と共に行動し、別れ、その後鎌倉で悲痛な運命に翻弄されることになった静御前の生涯について解説する。
源頼朝と義経の兄弟対立に翻弄された「ある女性」の運命、悲しき結末とは
源頼朝が義経追討のために刺客を派遣した「真の目的」とは?
濱田浩一郎
源頼朝は、源平合戦で活躍した腹違いの弟である義経と、のちに激しく対立することになった。壇ノ浦の戦いで平家が滅亡したその同じ年、なんと頼朝は義経を殺害するために刺客を派遣している。なぜこのような行動に出たのか。刺客が派遣されるまでの経緯とは。史料を基に解説していこう。
源頼朝が義経追討のために刺客を派遣した「真の目的」とは?
木曽義仲が源平合戦で何倍もの規模の強敵を破った「奇策」とは
濱田浩一郎
『鎌倉殿の13人』に登場する源氏の武将、木曽義仲。将軍・源頼朝や義経ほど有名ではないが、平家討伐に大きく貢献した人物だ。『平家物語』でも義仲の栄枯盛衰が情感をもって描かれており、筆者は義仲が同作の第二の主役だと考えている。今回はそんな義仲の生い立ち、平家との戦いで見せた“意外な戦略”について、『平家物語』を基に解説する。
木曽義仲が源平合戦で何倍もの規模の強敵を破った「奇策」とは
源義経は評価されすぎ?その陰に隠れて功績が知られていない「ある人物」
濱田浩一郎
源平合戦で宿敵である平家の追討に尽力し、「優れた戦略家・戦術家」として、今も歴史ファンから人気が集まる源義経。しかし、彼の一軍の将としての適性や、戦いを勝利に導いた奇襲攻撃については、さまざまな史料から「異なる説」も浮上している。当時の史料から“若き英雄”義経の知られざる一面についてひもといてみよう。
源義経は評価されすぎ?その陰に隠れて功績が知られていない「ある人物」
源氏が平家を破った富士川の戦い、「水鳥の羽音で平家が逃げた」説の真相
濱田浩一郎
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、源頼朝が挙兵し源平合戦が幕を開けた。中でも、源氏が平家方を破った「富士川の戦い」には、平家の苦境と源氏の勢いをうかがわせるさまざまなエピソードがある。勝負を分けたものとは何だったのか。当時の史料を基に見ていこう。
源氏が平家を破った富士川の戦い、「水鳥の羽音で平家が逃げた」説の真相
源義経が兄・頼朝に出会うまでに歩んだ知られざる「壮絶な半生」
濱田浩一郎
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、ついに菅田将暉演じる源義経が本格登場した。義経といえば、鎌倉幕府の初代征夷大将軍、源頼朝の弟で平家討伐に大きく貢献した人物だ。しかし源平合戦に参戦する以前の義経の人生については、あまり知られていない。史料をひもとくと、“異端児”義経が形成されていった理由が見えてきた。
源義経が兄・頼朝に出会うまでに歩んだ知られざる「壮絶な半生」
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