二宮尊徳の少年像二宮尊徳はまきを担いで読書をする少年像で知られるが、その実像はすご腕の事業再建コンサルタントだ Photo:PIXTA

日本における信金信組誕生のきっかけは
明治維新期に味わった「負の衝撃」

 そもそも、信用金庫や信用組合は日本に、そして世界になぜ存在するのだろうか。

 本連載『北國銀行が「虎の子」システムを信用保証協会と共有する深い理由』でも触れたが、信金は1951年に信用金庫法が公布・施行され、信組から“転換”する形で誕生した。

 ならば日本における信組はいつ誕生したのかといえば、信金誕生の50年ほど前である。信組の歴史は、1900年に成立した産業組合法と共に始まった。

 産業組合法制定のきっかけは、岩倉使節団(1871年に派遣された、岩倉具視を特命全権大使とする使節団)による欧米視察にある。近代化の進め方を巡って、使節団は産業革命をいち早く起こした英国を視察した。その際、近代化の「負の面」を目の当たりにしたことで一行は衝撃を受けた。

 この衝撃が、日本の信組誕生を後押しすることになる。実は、こうした信金信組の成り立ちを知ることこそが、今の信金信組が担う役割の重要性を理解する一番の近道だ。

 今月の本連載では、先月の『信金信組は奥深い!地銀にないすごみと多様性の重要度とは』に続き、信金信組の歴史を振り返ることで、そのあるべき姿を追っていきたい。