現在、日本中で大ブレイク中のひろゆき氏。
彼の代表作『1%の努力』では、「考え方の根っこ」を深く掘り下げ、思考の原点をマジメに語った。この記事では、ひろゆき氏にさらに気になる質問をぶつけてみた。(構成:種岡 健)
「数学は苦手」という誤解
数学と国語、どちらが苦手でしょうか。世の中には、「数学が苦手です」「理系が不得意で根っからの文系です」と語る人がいます。
しかし、よく考えてみると、数学も国語も同じ「頭の良さ」が必要なんですよね。どちらも「論理的に記号を使って考える科目」です。その記号が「数字」なのか「言語」の違いであって、根本は同じです。
では、なぜみんな「国語はできる」と思い込んでいるのでしょうか。それは、日常会話に困っていないからです。
誰もがみんな、日本語を使って会話をしたり、メールを打ったり、LINEを返したりしています。だから、「国語はできている」と勘違いしているんですよね。
でも、ちゃんと論理的な考えに基づいて会話をしたり文章を書けている人は、ほとんどいません。それができている人は数学も得意なはずですしね。
ということで、もっともダメな特徴を1つ紹介したいと思います。
「例え話」を理解しない人
僕はよく「例え話」をします。
「たとえば、あなたが南北アメリカ時代の奴隷の立場だったとしますよね?」
「たとえば、あなたが手足が不自由だったとしましょう」
「たとえば、あなたが児童養護施設で育ったとします」
と、例えながら考えを説明するようなときです。
すると必ず、こういう反発をしてくる人がいます。
「私を奴隷扱いするなんてひどい!」
「障害者をバカにしているのか!」
「施設で育った子どもを下に見ている!」
こうやって「例え話」である前提を理解せず、「『単語』に反応してしまう」のです。とても残念な考えだと思うのですが、Twitterやネットのコメント欄を見てみてください。この考えをする人が、ものすごく多くいます。
「反応」と「反論」は違う
例え話をするということは、その人の気持ちになって考えるということです。
小説とか映画とかでは、「相手の気持ちになって考えること」を学べると思います。極端な状況や特殊な環境に置かれている主人公を見ながら、「自分だったらどうするだろう?」と考えることで、物語に共感したり、新しい価値観が得られます。
ということは、例え話を例え話として理解できないということは、相手への理解を拒絶して、新しい価値観を得ようとしない態度をとるのと同じなんですよね。
そうならないためには、簡単です。「単語に反応するのをやめる」ということです。
話の文脈を理解して、その上で、「論理の部分」でおかしいと思ったら反論すればいいんです。頭の悪い人は、単語に反応しているだけなのに、それを「反論だ」と勘違いしているんですよね。
「単語への反応」ではなく「論理への反論」をするようにしましょう。それができない人は、一発で「頭の悪い人だ」と思われてしまいますよ。
本名:西村博之
1976年、神奈川県生まれ。東京都に移り、中央大学へと進学。在学中に、アメリカ・アーカンソー州に留学。1999年、インターネットの匿名掲示板「2ちゃんねる」を開設し、管理人になる。2005年、株式会社ニワンゴの取締役管理人に就任し、「ニコニコ動画」を開始。2009年に「2ちゃんねる」の譲渡を発表。2015年、英語圏最大の匿名掲示板「4chan」の管理人に。2019年、「ペンギン村」をリリース。主な著書に、38万部を突破した『1%の努力』(ダイヤモンド社)がある。