『アマゾンの最強の働き方──Working Backwards』が刊行された。アマゾン本社の経営中枢でCEOジェフ・ベゾスを支えてきた人物が、アマゾンの「経営・仕組み・働き方」について詳細に公開した初めての本として大きな話題になっている。
アマゾンで「ジェフの影」と呼ばれるCEO付きの参謀を務めたコリン・ブライアーと、バイスプレジデント、ディレクター等を長年担ったビル・カーが、「アマゾンの働き方を個人や企業が導入する方法」を解き明かした、画期的な一冊だ。
本稿では『アマゾンの最強の働き方』より特別に、アマゾンがデジタルメディアへの進出を検討していた際に、ベゾスとアップルCEOスティーブ・ジョブズとの間で交わされたトップ会談の場面を特別公開する。
ジョブズ×ベゾスの貴重なトップ会談
2000年代初頭、デジタルメディアへの投資と新たな能力の獲得の必要性に気づいていたのはアマゾンだけではなかった。1999年6月にサービスを開始したデジタル音楽ファイル共有サービス、ナップスターの人気は、消費者の需要がフィジカルからデジタルへと移行しつつある明らかな証拠だった。
ベゾスが沈黙した、ジョブズの挑発
2003年の秋、ジェフ・ベゾスと私(コリン)、ディエゴ・ピアチェンティーニ(アップルでバイスプレジデントを務めたのち、アマゾンのグローバル・リテール事業担当シニアバイスプレジデント)は、ある日の午後遅く、シアトルのアマゾン本社をあとにし、アップルCEO、スティーブ・ジョブズに会うため、クパチーノのアップル・キャンパスへと向かった。ジョブズに招かれてのことだった。
到着するとジョブズとアップルの社員1人に出迎えられ、ウィンドウズのパソコン1台とテイクアウトの寿司のプレートが2つほど用意された何の変哲もない会議室へと案内された。すでに夕食の時間を過ぎていたので、私たちは寿司をつまみながら、音楽業界の現状について意見を交わした。
ジョブズはナプキンで口を拭うと、アップル初のウィンドウズ向けアプリケーションの開発を完了したところだと切り出した。ウィンドウズ向けの開発はアップル初の試みだが、ウィンドウズのアプリケーションとしては最高のものができたと思うと彼は静かに、確信に満ちた口調で言った。そして自ら、発表を間近に控えたウィンドウズ版iTunes を披露してくれた。
その間、ジョブズはこの動きが音楽産業をどう変えるかを語った。それまでは、アップルからデジタル音楽を購入するにはMacが必要だった。アメリカの家庭用PC市場で、Macのシェアは10%にも満たない。アップルが競合するウィンドウズ向けソフトウェアの開発に進出したことは、彼らがデジタル音楽市場をいかに重視しているかを物語っていた。これからはパソコンさえあれば、だれもがアップルからデジタル音楽を買えるようになる。
ジョブズは、CDはカセットテープのように時代遅れの手段になる運命にあり、その重要性も音楽産業の売上に占める比率も急速に落ち込むだろうと予測した。
そして次のように言った。その発言の真意を合理的に説明しようとするなら、単に事実を述べたか、ケンカを売ったか、あるいはジェフに衝動的行動を取らせて経営判断を誤らせようとしたのか、そのいずれかしか考えられない。
「アマゾンは多分、CDを買える最後の場所になる。規模は小さくても利益率のよいビジネスになるでしょう。CDは入手困難になるので、高く売れるようになりますよ」
ジェフは何も言わなかった。私たちはあくまでも客人であり、その後は平穏に時間が過ぎた。
だが、骨董品と化したCDの独占販売業者になるのが魅力的な事業でないことはどう考えても明らかだった。
「最高の成果」を得る方法とは?
この会合がジェフの考えに影響を与えたと言いたいところだが、それはジェフにしかわからない。私たちに言えるのは、その後ジェフが何をして、何をしなかったかだ。
ジェフがしなかったことは(そして同じ立場の多くの経営者ならしたであろうことは)、強力なライバルの脅威と張り合うため、すべてを賭けてプロジェクトを立ち上げることだった。ジェフは拙速にプレスリリースを発表しなかったし、ライバルと同じような新サービスですぐに追いついてみせるという宣言もしなかった。ジェフはこの会合で学んだことをじっくりと整理し、計画を立てた。
数ヵ月後、彼はデジタル部門を率いる専任チームのリーダーを指名した。デジタルメディアについてビジョンや計画を練るため、スティーブ・ケッセルを直属の部下として指名したのだ。
言い換えれば、ジェフが最初にとった行動は、「何」をするかではなく、「だれ」が「どのように」するかの決断だった。
この違いはきわめて重要だ。ジェフは、一見最短距離に思える、「どんな商品をつくるべきか」という問題には飛びつかなかった。ジェフの決断は、この構想の大きさ、そして成功を収めるのに必要な仕事の範囲の広さや複雑さを彼が認識していたことを示している。
最高の成果を得るには、まず「どのように」チームを編成し、「だれが」リーダーに適任なのかという点を考え抜くべきなのだ。
デジタルへの移行はすでに始まっていたが、流れが本格化するのがいつなのかはだれにも予測できなかった。早すぎる参入はだれも望まなかった。市場が整わない状態で商品を投入しても失敗するだけだ。だが時期を逸し、乗り遅れるのも望まなかった。
私たちはこのジレンマを克服する方法を考案するしかなかった。そのためには、新たなパラダイムにおいて、最高の顧客体験とは何なのかを考え抜く必要があった。この局面では、「顧客中心主義」「長期的思考」「創造性」というアマゾンならではのDNAが強みとなった。(中略)
「試行錯誤」の果てに生んだもの
キンドルは2007年11月19日に発売された。価格は399ドル、6インチのスクリーンとキーボード、図版なしの書籍なら約200冊を保存できる250MBのメモリを搭載していた。
息をのむような速さで完売となり(6時間足らず)、チームは増産のため慌てて部品を調達しなければならなかったほどだ。
売上は上々だったが、初期の評価は賛否両論だった。一部の批評家からは、100ドルも安く売っているライバル機「ソニー・リーダー」より劣っていると指摘された。それでも、チームがようやく増産を終え、2008年2月に在庫が確保されてからも、売上は引き続き好調だった。
そしてオプラ・ウィンフリーの番組が放送された。
2008年10月24日、彼女はその日の番組をまるまるキンドルに捧げ、「私の世界中のお気に入りのなかで断トツの新しいお気に入り」と褒めちぎってくれた。何百万人という視聴者が「読書の女王」オプラの本の紹介を心待ちにしていたため、キンドルは爆発的に売れ始めた。
オプラから大きな支援を得ると、疑ったり、否定したり、あれこれ言っていた人びともこぞって支持にまわった。キンドルは当たったのだ!
起爆剤としてオプラの影響は大きかったが、キンドルの長期的売上を確かなものにしたのは、プロダクトそのものの秀逸さだった。キンドルの開発に膨大な時間を捧げたスティーブ・ケッセルは、キンドルの新バージョンと、その他のハードウェアの開発に専念するよう指示された。デジタルメディアへの移行の最初の大規模プロジェクト──電子書籍──は成功した。だが2008年の時点では、私が2005年から専念していたアマゾンのデジタル音楽とビデオのビジネスは、成長への道を模索するささやかな取り組みにすぎなかった。
資源は限られ、ブレイクスルーとなるアイデアもなく、かなり有利なスタートを切っていたアップルとの熾烈な競争にさらされるなか、デジタルがアマゾンの未来だと断言できるようになるためには、私たちにはまだ取り組むべき多くの仕事があった。
(本原稿は『アマゾンの最強の働き方』からの抜粋です)