現在、日本中で大ブレイク中のひろゆき氏。
彼の代表作『1%の努力』では、「考え方の根っこ」を深く掘り下げ、思考の原点をマジメに語っている。この記事では、ひろゆき氏にさらに気になる質問をぶつけてみた。(構成:種岡 健)
「傷つけたくない」という自己愛
あなたは、相手を傷つけたくないと思っていますか?
もちろん、人は誰も好んで他人を傷つけようとは思っていません。
僕だってそうです。基本的には、誰も傷つけたくありません。
ただ、そうやって傷つけてしまうことを恐れるあまり、「言いたいことが言えない」「自分だけが我慢している」という状態になってしまうのは、間違っていると思います。
ということで、「人を傷つけたくない」と語る人が陥ってしまう「残念な自己愛」について語っていきましょう。
「言わない」=「放置した」
よくある話ですが、相手の髪の毛にゴミが付いていたり、鼻毛が出ているときに、それを指摘できますか?
僕なら、一瞬で「何か付いていますよ?」「トイレ行って鏡を見たほうがいいですよ」と言います。
でも、こんな些細なことですら、指摘できない人がいるそうです。
「そんなことを指摘して、相手は傷つかないだろうか……」と考えてしまって、言うのをためらってしまうのです。
それって、僕から見ると、「相手のミスに気づいているのに指摘せずにわざと放置した」「他の誰かが指摘してくれればいいだろう、と責任を押し付けた」というように、自己愛にしか見えないんですよね。
つまり、「傷つけたくない」という気持ちがよじれてしまって「エゴ」になってしまっているんです。
相手が「どう感じるか」は、気にしない
わかっているのに言わないことは、とても残酷なことだと思います。
しかも、そういう人に限って、「あのとき実はああだったんだよ」と、後から「わかっていたこと」を言い出したりします。
まったく理解ができない行動です。
僕は、思ったことや感じたことは、相手のためになることなら、率先して言ったり、やったりするタイプです。
それが仮に「おせっかい」や「余計なお世話」になろうとも、僕は良かれと思ってやるのだから、それについて相手がどう感じるかどうかは「知ったこっちゃありません」よね。
だって、僕にとっては、「それをやられたら嬉しい」「それを言われたら助かる」ということをやってあげているわけですから。
「自分がされて嬉しい」を基準に
なので、ヘタに「人を傷つけたくない」と思うのは、よくないんだと思います。それって、「人とまったく関わらないこと」を正当化しているわけですからね。
でも、人はやはり他人に迷惑をかけたり、助けられながら生きていくものだと思うので、それを否定しないほうがいいんじゃないかと思います。
ということで、「人を傷つけたくない」という思いをこじらせないように、「これは自分がやられたら嬉しいんだ」ということにもっと自信を持つようにしましょう。それを軸にして、もっと他人と関わっていったほうが、人生きっとラクですよ。
本名:西村博之
1976年、神奈川県生まれ。東京都に移り、中央大学へと進学。在学中に、アメリカ・アーカンソー州に留学。1999年、インターネットの匿名掲示板「2ちゃんねる」を開設し、管理人になる。2005年、株式会社ニワンゴの取締役管理人に就任し、「ニコニコ動画」を開始。2009年に「2ちゃんねる」の譲渡を発表。2015年、英語圏最大の匿名掲示板「4chan」の管理人に。2019年、「ペンギン村」をリリース。主な著書に、40万部を突破した『1%の努力』(ダイヤモンド社)がある。