「他人と意見が違うと不安に感じる人」が失うものPhoto: Adobe Stock

社会派ブロガー・ちきりんさんの最新作であり、累計40万部突破の人気シリーズの最終巻となる『自分の意見で生きていこう』が発売直後から反響を呼んでいます。特に、正解のない問題にもつい正解を求めてしまう「答え合わせ発想」と、「承認欲求と意見の関係」を説く第4章は多くの人の心に刺さっているようです。今回より、その該当部分をシリーズ連載としてお届けします。

人生に答え合わせは要らない

『未来の働き方を考えよう』(文藝春秋 2013年)という働き方に関する本を書いたあと、「この本を読んで、転職しようか何年も迷っていた自分の背中を押してもらいました!」といった感想をたくさんいただきました。

 私の本だけでなく、オンラインサロンに参加したり、メンターやカウンセラーからアドバイスをもらうことで、「ずっと迷っていたことが、ようやく決断できた」と喜ぶ人は少なくありません。

 私たちはなぜ、「本当はこうすべきだ、私はこっちを選びたい!」とわかっていても、誰かに背中を押してもらわないと前に進めないのでしょう?

「誰かに背中を押してもらう」とは、「あなたの選ぼうとしている道もまた、正しい道ですよ」と他者に断言してもらうことを意味します。

 自分はこちらに向かうべきだとずっと思っている。それなのに、誰かに「あなたは間違っていませんよ!」と言われるまで選べない。私はこれを「答え合わせがほしくなる気持ち」と呼んでいます。

 誰でもそんなものだと思いますか? 実は世の中には、答え合わせなど必要としない人もいます。私もそのひとりですが、「自分がこうしたい!」と思うと、誰が反対しようと気にせずそうしてしまいます。

 つまり世の中には、「答え合わせが必要な人」と「答え合わせなど必要としない人」がいるのです。

「答え合わせが必要な人」も、タイムリーに背中を押してくれる人や本に出会えれば問題はありません。でも、その機会が得られないと、「やっぱりこうするべきではないか。いやいや、そうはいっても……」と悩むことに時間を浪費してしまいます。

「私はこうしたい!」と思えることについては、誰に肯定されなくても(時には大反対されても!)、自信をもってその道を進む勇気があれば、とても楽になるはずなのに。

自分の感想に自信がもてない人

 この「答え合わせ発想」を強く感じるのが、ネットサイトに書かれた本や映画のレビューを読んだときです。

 本や映画なんて趣味嗜好品ですから、ある人にとっては「とてもおもしろい!」ものでも、他の人にはまったくおもしろくないということがありえます。むしろ全員がおもしろいとレビューしている作品なんて、「やらせレビューでは?」と疑わしくなるくらいです。

 ところが、ある作品にすでに10個の「本当にすばらしい!」というレビューがついている場合、たとえ自分は「そんなによくなかった」と思っても、怖くて(不安で)そう書けない人がいます。

 おそらく、他の人の「本当にすばらしい」という意見が正しく、自分の「おもしろくなかった」という意見が間違っているかのように感じてしまうのでしょう。

 そして、レビューを書くのをやめてしまったり、もしくはレビューに「言い訳」を含めてしまいます。

 たとえば「自分には難しすぎてよさがわからなかった」というように、自分が無知だから、レベルが低いからこの映画のよさを理解できなかったのかもしれない、と言い訳するのです。

 おもしろくなかったなら「おもしろくない映画だった」と書けばいいのです。でも、他の人がみな「すばらしい!」と言っている中そんな意見を書くと、鑑賞眼がないのかと思われる。だから「よさがわからなかったのは自分のせいかもしれない」と言い訳したくなるのでしょう。

 反対も同じです。10個の酷評レビューがついている本や映画について「とてもよかった!」と素直に書くことができない人もいます。

 そして「自分は基本的なことをよく知らないので、この本はとても役に立ったが、すでにひととおりの知識がある人には、あまり役に立たないかもしれない」といった、他のレビュアーにやたらと忖度したレビューを書いてしまったりするのです。

 本や映画のような嗜好系のコンテンツに関しては、100人中99人がすばらしいと感じても、自分には駄作だった、ということがありえます。もちろん反対も同じです。99人の意見が正しく、自分の意見が間違っているわけではありません。

 そもそもネット上のレビューの存在意義は、さまざまな意見の存在を伝えることなのに「他の人と意見が違うから書き込むのを躊躇する」などという人が現れたら、レビュー欄そのものの価値がなくなってしまいます。

 それでも多くの人は「多数派の意見が正しいはず」もしくは「高名な批評家の意見が正しいはず」と感じ、自分の意見がそれと異なる場合、ストレートにそれを表明できません。

 これに限らず、「自分の意見が他者の意見と異なっていると、不安に感じる人」はたくさんいます。そういう人は最初に自分の意見を表明せず、誰か他の人が意見を言うのを待ちます。誰かが意見を言って、それが自分の意見と同じだと安心し、初めて「私もそう思いました!」と言えるようになるのです。

 特に、成功している人や有名な人の意見が自分と同じだとわかると、とても安心します。有名人から、「あなたの意見は正しいですよ!」とお墨付きをもらったような気になるからでしょう。

 でも……意見には正しいも間違いもありません。意見は人によって違うだけであり、あなたの意見が「間違っている」などということは起こりえないんです。

答え合わせに時間を浪費するのはやめよう!

 仕事選びや生き方についても同じです。なにかにつけ「自分の選んだ道は合っているかな? 大丈夫かな?」と他人の顔色をうかがっていると、いつまでたっても自己肯定感がもてません。

 それでは「誰かに褒めてもらえないと幸せになれない人」になってしまいます。人生なんて誰からも褒められないどころか、「よくそんな生活ができるよね……」とあきれられるような生き方であっても、自分さえ楽しければそれでいいのです。

 また、自分の意見が間違っていないか不安な人は、ちょっとでもうまくいかないことに遭遇するとすぐに「この仕事(会社)を選んだのは間違いだったのでは?」と不安になり、全力投球できなくなってしまいます。

 むやみに不安がらず、集中して取り組んでいればいい結果が出せるのに、ちょっとつまずいただけで「自分は間違ったのではないか?」と怯えていては、本来なら出せたはずの成果も出せなくなってしまいます。

 ちなみに、なにかをやめるときも同じです。「間違った選択だった!」という自分の意見を明確にできる人は、さっさとそれを止め、次の道に進めます。

 しかし「私は間違っていますよね?」「もうやめたほうがいいですよね?」と、他人に答え合わせを求め、「そのとおり! あなたは間違っています。そんなコトさっさとやめましょう!」と言ってもらえないかぎり、行動に移せない人もいます。

 これでは「間違っているのではないか?」「おかしいのではないか?」と悩んでいる間、人生の時間を無駄にしてしまいます。

 せっかく自分のアタマで考え、自分の意見がもてているのに、「答え合わせ」のために貴重な時間を費やすなんて、あまりにもったいなくないですか?