人が真実の接近を予期するとき
裏で働いているのが暗黙知

 ただ本書では、暗黙知(tacit knowing)とは何かについて、一言で明確に定義されている箇所がなく、さまざまな幅を持たせた表現がなされている。

 それは「知覚された対象を介して神経過程を感知するための方法」であったり、「まだ包括されていない個々の諸要素に一貫性があることを、暗に認識すること」「いつかは発見されるだろうがいまのところは隠れている何かを、暗に感知すること」(以下引用はすべてマイケル・ポランニー著『暗黙知の次元』)などである。

 人間が物事を知覚するとき、隠れたものへの手がかりになりそうな種々の些末な事柄の孤独な暗示に触発され、虫の知らせに背中を押され、隠された真実の接近を予期する、平たく言えば「理由は自分でもはっきりわからないのだけれども、どうもこんなことになっているような気がする」といったとき、裏で働いているのが暗黙知(tacit knowing)である。

 人はこの暗黙知の働きによって、何らかの対象に目を向けたときにその構成要素に没入して思考し、そこに隠された新しい秩序を見つけるのである。さらには、その暗黙知の働きの連続的な展開によって世界観を広げていく。

「外界の事物の個々の諸要素はまとめられて相応の存在へと統合されるのだが、そうした何組もの諸要素を身体に同化させることによって、私たちは自らの身体を世界に向かって拡張し続けていくのだ。このとき私たちは、外界の諸要素を内面化して、その意味を首尾一貫した存在のうちに把捉しようとする。かくして私たちは、幾つもの存在に満ち、ある解釈を施された宇宙を、知的な意味でも実践的な意味でも、形成することになる」

 ものすごく雑駁にやさしく言えば、ある点だけを見ているとただの点にしか見えないが、もう少し上の次元でその点と点がつながっていることに気づくと、それが円の一部であることがわかるし、そこに円が存在していることがわかる、と言ったような認識の仕方である。