今回採り上げるのは、『風土』で有名な哲学者・和辻哲郎の『古寺巡礼』である。著者が20代の頃に書いたもので、書名の印象は信仰の本のようだが、実際は仏教美術の鑑賞のエッセイとでも言うべきものだ。美術の専門家ではない和辻の個人的な印象記であり、学問的見地からは疑問も多い。にもかかわらず戦前にベストセラーになり、多くの人に強烈な印象を与えた。そして、今も版を重ね続けている。

和辻の鋭い感性と滑らかで美しい日本語の描写が、読む人を感化する。採り上げられている仏像やお寺を訪問したことがなく、写真すら見たことがなくても興味が掻き立てられる。声に出して読むとさらに心が震える。和辻の感動が読む者の心の共鳴を起こすのだ。

SNS時代の今、炎上を避けるためもあり、これでもかというほど懇切丁寧に単純化して説明することを求められ、またそうした文章ばかり読まされる我々に、一通りに解釈が決まらないものや抽象性を帯びた対象から、豊かな感想や思考を紡ぎ出すことのスリル、面白さを思い出させてくれる。

何より非凡なのは、和辻が日本独自の伝統が生んだと近代の人間が信じて疑わない圧倒的な造形美や技術に、当時の中国、韓国の帰化人のもたらした影響、異文化の融合と多様性による達成をはっきり見て取っていたことである。この分析はイノベーションが足りないと言われる今の日本人にとって、大きなヒントともなるであろう。

なぜ日本人は仏像を見ると心を奪われるのか?語られなかったその本質『古寺巡礼』和辻哲郎著(岩波文庫)

仏像は宗教よりも芸術?
和辻哲郎の独特な解釈

 私は大学を卒業するまで奈良で過ごした。家の2階からは、左を見れば東大寺の大仏殿と若草山、右を見れば薬師寺の東塔が見えた。新薬師寺に近い中学・高校に通うために、鹿と戯れながら興福寺と奈良公園を歩いた。いくつものお寺が近くにあった。年を重ねるたびに、故郷への郷愁の念は高まるが、その中心にはたくさんの仏像の姿がある。

 そもそも多くの人にとっての素朴な疑問ではないかと思うが、なぜ仏像はあんなにたくさん造られたのだろうか。これについて和辻は次のように語る。