小宮山・早稲田の六大学野球初陣、監督の「我慢」は実を結ぶかグラウンドで選手たちを指導する小宮山悟監督 撮影:須藤靖貴

小宮山・早稲田の初シーズン、2019年春季リーグが開幕した。結果は3位。部員たちには安堵(あんど)の色が広がっていたものの、小宮山は物足りなさをぬぐえないでいた。どうすれば早稲田大野球部を正しい姿に戻せるのか。「我慢、我慢」をモットーに小宮山が模索を続ける中、ついに選手たちが変わり始めた。(作家 須藤靖貴)

ベストナインに4人が選出も
小宮山監督は「辞退しろ」

 2019年春季リーグ戦開幕。小宮山悟監督は師・石井連藏が使っていた遺品のキャップをベンチに持ち込んだ。「かぶりたいところですけど、Wのデザインが違うので」バッグに忍ばせたのだった。

小宮山・早稲田の六大学野球初陣、監督の「我慢」は実を結ぶか石井連藏が使用していたキャップ(上)と現在のもの(下)。「W」のデザインに違いがある

 東大に連勝スタートしたものの、明治に連敗。しかし続く立教大、法政大からは勝ち点をもぎ取った。早慶戦は1勝2敗。明治、慶応に続く3位だった。部員たちには安堵(あんど)の様子が見て取れた。新監督の最初のリーグ戦を、なんとか戦い切ったのである。

 吉報も届いた。春季ベストナインに早稲田から4人が選出。外野手に2人、キャプテン・加藤雅樹と瀧澤虎太朗。ショート・檜村篤史、そして捕手の小藤翼。

 しかし小宮山は「辞退しろ」と言い放った。

 ベストナインは全日程終了を待たずに早慶3回戦のゲーム中に投票される。その試合、早稲田は3安打と奮わず0-2の完封負け。慶応の左腕・高橋佑樹を打ち崩せず、得点圏にランナーを進めたのは一度だけで、早稲田の走者が三塁ベースを踏むことはなかった。

 この3回戦について、「なめてかかっているんだよね。いけるぞと」と話すのは徳武定祐※1・打撃コーチ(19年8月19日付早稲田スポーツ)。1回戦で、早稲田は瀧澤のホームスチールも成功して3‐2と高橋を攻略した。だから高橋は3倍返しくらいの気持ちで向かってきたに違いない。その気迫に早稲田打線は圧倒されてしまったというのだ。

「どうすることもできなかった。これまでで一番ひどい試合」

 監督もこう嘆いた。力を出し切れず、「慶応に失礼だろう」と。そんな憤懣(ふんまん)が受賞者への厳しい言葉となった。「早慶六連戦」※2の伝説的死闘が監督の脳裏をよぎったのかもしれない。

※1 徳武定祐(とくたけ・さだゆき)(1938~)
 東京都生まれ。早実では遊撃手として1956年に夏の甲子園に出場。早稲田大では2年生秋から5季連続のベストナイン受賞。4年時には主将を務め、早慶六連戦でも4番打者として活躍した。卒業後は国鉄、サンケイ、中日でプレー。引退後は中日、ロッテでコーチを務める。小宮山がロッテに入団した際のヘッドコーチだった。母校へは99年、同期の野村徹からの要請で打撃コーチを務め、2014年秋季まで数多くの強打者を育てた。

※2 早慶六連戦
 1960年秋、優勝をかけた早慶戦。慶応は勝ち点4と優勝に王手。だが早稲田は2勝1敗で優勝決定戦に持ち込んだ。
 決定戦は早稲田・安藤、慶応・角谷の両エースが投げ合い、1
1で延長戦に突入。当時は照明設備がなく、11で11回日没引き分けとなる。再試合でも先発は同じく安藤、角谷。しかし延長12回で00、またしても日没引き分け。
 優勝決定戦再々試合では4連投の安藤、3連投の角谷がともに踏ん張り、すさまじい緊張感で試合は進み、3
1で早稲田勝利。6連戦に足を運んだ観衆はのべ38万人だった。

チームには「悪いやつ」が必要
従順な優等生だけではダメ

 どこか、物足りない春だった。