十四ヵ条
1918年1月8日、戦争が終結するかなり前、ウィルソン大統領は、アメリカが参戦する理由と一連の目標について説明した。彼は議会に対して、これが「戦争を終わらせるための戦争」であると説き、次なる大戦を防ぐための計画を練ったのだ。
十四ヵ条と呼ばれることになるその計画は、こんな内容だった。
1. 秘密の条約や同盟の禁止
2. 海洋の自由な航行
3. 平等な貿易
4. 軍備の縮小
5. 植民地の権利の調整
6. ロシア領の撤兵と回復
7. ベルギー領の撤兵と回復
8. フランス領の撤兵と回復
9. イタリア国境の再調整
10. オーストリア=ハンガリー帝国内の民族の自治
11. バルカン半島(ルーマニア、セルビア、モンテネグロ)の撤兵と回復
12. オスマン帝国領の自治
13. ポーランドの独立
14. 国際連盟(協力して紛争を解決する国々からなる組織)の設立
アメリカ軍の到着
アメリカ兵と物資の到着により、ドイツ軍は第二次マルヌ会戦で前進を食い止められる。1918年9月から11月まで戦われたムーズ=アルゴンヌ攻勢は、第一次世界大戦の最終局面となった。
そして、オーストリア=ハンガリー帝国が戦線離脱すると、1918年11月11日、ドイツは休戦協定に応じた。
戦争の代償
第一次世界大戦によって、ヨーロッパはずたずたになり、まるまるひとつの世代のヨーロッパ人男性たちが壊滅的な被害を受けた。歴史家たちの推定によると、4年間の戦いで、なんと3700万人が死傷したという。
農場や工場が機能しなくなったヨーロッパ経済もまた、深刻なダメージを受けた。1918年には、スペインかぜというインフルエンザのパンデミックも起きた。
スペインかぜは、感染力がものすごく高いインフルエンザ=ウイルス株で、世界じゅうに広まり、第一次世界大戦以上の死者を出したのだ。世界じゅうが平和を待ち望んでいた。
平和の到来
1918年、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世とオーストリア皇帝カール1世がどちらも退位すると、1919年、ドイツはヴェルサイユ条約に署名した。
この条約により、ドイツは単独で第一次世界大戦の責任を負い、外国の植民地を放棄し、アルザス・ロレーヌをフランスに返還し、他国への重い賠償を負うことをしいられた。
また、陸軍と海軍を縮小し、空軍を廃止することもしいられた。ライン川沿いのドイツの領土は、連合軍が占領し、ドイツのフランス侵攻を防ぐため、非武装化された。
ドイツの人々は、ヴェルサイユ条約の条項に屈辱を覚えたけれど、受け入れる以外の選択肢はなかったのだ。
ヴェルサイユ条約は、国際連盟という国際組織も生み出した。将来の戦争を防ぎ、民主主義を促し、平和を保つため、アメリカのウッドロー=ウィルソン大統領が提案した組織だけれど、その一方で議会の反対にもあい、アメリカが加わることはいちどもなかった。
どちらにせよ、結局、国際連盟はほとんど役立たなかった。
飢餓、貧困、失業がヨーロッパをむしばみ、第二次世界大戦の舞台が着々と整ってしまったのだ。
(※本原稿は『アメリカの中学生が学んでいる 14歳からの世界史』を抜粋・再編集したものです)