米国で発売直後から大きな話題を呼び、中国・ドイツ・韓国・ブラジル・ロシア・ベトナム・ロシアなど世界各国にも広がった「学び直し本」の圧倒的ロングセラーシリーズ「Big Fat Notebook」の日本版が刊行された。本村凌二氏(東京大学名誉教授)「人間が経験できるのはせいぜい100年ぐらい。でも、人類の文明史には5000年の経験がつまっている。わかりやすい世界史の学習は、読者の幸運である」、COTEN RADIO(深井龍之介氏 楊睿之氏 樋口聖典氏・ポッドキャスト「歴史を面白く学ぶコテンラジオ」)「ただ知識を得るだけではない、世界史を見る重要な観点を手に入れられる本! 僕たちも欲しいです」、佐藤優氏(作家)「世界史の全体像がよくわかる。高度な内容をやさしくかみ砕いた本。社会人の世界史の教科書にも最適だ」と絶賛されている。本記事では、全世界700万人が感動した同シリーズの世界史編『アメリカの中学生が学んでいる 14歳からの世界史』より、本文の一部を抜粋・紹介します。

14歳からわかる「冷戦」とソ連が崩壊したワケPhoto: Adobe Stock

イデオロギーの戦い

「冷戦」は、戦場で戦われたわけではない。むしろ、共産主義の問題をめぐる、西側の民主主義国と東側の共産主義国どうしのイデオロギーの戦いだった。「参戦」した国々は、政治や経済についてまったくちがう考え方を持っていて、一方は共産主義、もう一方は資本主義を信じていた。

 東ヨーロッパの共産主義国は、「鉄のカーテン」に閉ざされて、西側諸国から孤立していた。この言葉は、ウィンストン=チャーチルが1946年に演説で使用したものだ。

ドイツの分割

 第二次世界大戦後、連合軍はドイツを4つの区域に分け、4つの大国(イギリス、フランス、アメリカ、ソ連)がひとつずつ占領した。イギリス、フランス、アメリカは、西側の地区を西ドイツという国として統一したかったけれど、ソ連がそれに反対したのだ。

14歳からわかる「冷戦」とソ連が崩壊したワケ

 1948年6月、ソ連はベルリン封鎖をおこない、トラック、列車、荷船(つまり、食料や生活必需品)がベルリンの西側の3つの地区に入れないようにした。対して、西側諸国はベルリン大空輸をおこない、飛行機で西ベルリンに生活必需品を届けた。

 ソ連がやっと封鎖を解いたのは、その11カ月後だった。

 1949年、連合国側は正式にドイツ連邦共和国(西ドイツ)を建国する。すると、5カ月足らずで、ソ連もドイツ民主共和国(東ドイツ)を建国した。ドイツの首都のベルリンも、東ベルリン(ソ連の支配)と西ベルリン(民主制)へと分割され、冷戦の大きな対立の根源になった。

 東ベルリンは西ベルリンよりもずっと貧しくて、多くの東ベルリンの住民が、西ベルリンへと逃げ込んだ。逃亡を防ぐため、ソ連の指導者のニキータ=フルシチョフは1961年、ベルリンを分断する壁を築く。このベルリンの壁は、共産主義大国と民主主義大国の分断や対立を象徴する存在になったといえるだろう。

 1989年10月、大規模なデモによって、共産主義政府は国境を開かざるをえなくなった。そして、1989年11月9日、ベルリンの壁は壊され、ソ連式の共産主義は終わりを告げる。

 その1年後、ドイツはついに統一を果たしたのだ。