米国で発売直後から大きな話題を呼び、中国・ドイツ・韓国・ブラジル・ロシア・ベトナム・ロシアなど世界各国にも広がった「学び直し本」の圧倒的ロングセラーシリーズ「Big Fat Notebook」の日本版が刊行された。本村凌二氏(東京大学名誉教授)「人間が経験できるのはせいぜい100年ぐらい。でも、人類の文明史には5000年の経験がつまっている。わかりやすい世界史の学習は、読者の幸運である」、COTEN RADIO(深井龍之介氏 楊睿之氏 樋口聖典氏・ポッドキャスト「歴史を面白く学ぶコテンラジオ」)「ただ知識を得るだけではない、世界史を見る重要な観点を手に入れられる本! 僕たちも欲しいです」、佐藤優氏(作家)「世界史の全体像がよくわかる。高度な内容をやさしくかみ砕いた本。社会人の世界史の教科書にも最適だ」と絶賛されている。本記事では、全世界700万人が感動した同シリーズの世界史編『アメリカの中学生が学んでいる 14歳からの世界史』より、本文の一部を抜粋・紹介します。
フランスでの不満の高まり
18世紀、アメリカ人と同じく、フランス人も王政をくつがえすことを望んでいた。フランスの不公正な階級制度にうんざりしていたからだ。
アメリカ独立革命におけるレキシントン・コンコードの戦いの1発目の銃弾は、「世界じゅうにとどろいた1発の銃声」と呼ばれた。君主制を民主制に置き換えられるということを、世界じゅうの人々に証明したからともいわれる。
イギリスと同じように、フランスは戦争(フレンチ=インディアン戦争)による負債を抱えていた。
その返済方法について話し合うため、1789年5月、フランス王ルイ16世は、三部会と呼ばれる会議を招集する。この会議には、フランス社会の3つの身分から代表者が参加した。
第一身分は、聖職者。貧しい主任司祭と、貴族出身の枢機卿や司教が交じっていて、人口全体に占める割合は、いちばん少なかった。
第二身分は、貴族。第一身分よりは割合が多く、フランスの土地のおよそ4分の1を所有していた。
第三身分は、農民、職人、社会の中産階級メンバー。フランス人口の9割以上を占めていたけれど、ほかの身分と比べて、所有する土地はものすごく少なかった。住む土地をまったく持たない人も多かったのだ。
第三身分の人々は、貴族に与えられた特権に怒った。第一身分も第二身分も、タイユと呼ばれるフランスの土地税を支払う義務がなかったのに、いちばん貧しい人々だけが税金を支払っていたからだ。
1787年と1788年の不作は、食料の不足、食品価格の上昇、失業を招いた。それでも、王は、派手な娯楽や贅沢な夕食にお金を使いまくっていた。
人々が食べ物に困っているときに、ルイ16世と妻のマリー=アントワネットは、パーティーに明け暮れていたというから、あきれたものだ!
バスティーユ牢獄へと押し寄せる
王の統治体制にうんざりし、変革を望んでいた第三身分の人々は、1789年6月、みずからを国民議会と名乗りはじめる。簡単にいえば、フランスの新しい運営機関だ。
国民議会は、ヴェルサイユの三部会の議場から締め出されてしまったので、王が国民議会を解散させようとしていると思い、屋内球戯場に集まった。
そして、新しい憲法を制定するまでは解散しないことを誓い合ったのだ。この誓いのことを、球戯場(テニスコート)の誓いという。
ルイ16世は、貴族や聖職者たちを、この新しい議会に合流させたけれど、その一方で、国民議会を解散させるために軍を動員した。
すると、1789年7月14日、パリのフランス市民たちが、身を守るための武器や弾薬を求めて、パリの牢獄であるバスティーユ牢獄へと押し寄せたけれど、弾薬は見つからなかった。
激怒した群衆は、バスティーユ牢獄のレンガをひとつずつ破壊していった。こうして、反乱は国じゅうに広がっていったのだ。