どうしてマクドナルドはハンバーガーを世界中に売ることができたのか? スターバックスはなぜ世界中の街角にあるのか? 一部の社会現象である「ヴィーガン」はいかにして世界的なトレンドになったのか? これらのイノベーションの背景には、ひとつの共通項がある。それはこれらが、新しい文化をつくったということだ。京都大学経営管理大学院で「文化の経営学」を専門とする山内裕教授は、これら人々を魅了するものの背景を読み解き、事業を文化の観点から設計する「文化のデザイン」を提唱する。この連載では、社会で活躍する企業のビジネスリーダーやアーティスト、デザイナーらを取材し、ビジネスに活かせる文化のデザインをお届けする。(構成:森旭彦)
イノベーションは、文化の産物
京都大学経営管理大学院教授
京都大学工学部情報工学卒業、同情報学修士、UCLA Anderson SchoolにてPh.D. in Management(経営学博士)。Xerox Palo Alto Research Center研究員を経て、2010年に京都大学経営管理大学院に着任。価値の最先端が「文化」にシフトする中、人文社会学に基づく文化の経営学を研究している。主な著書には、『「闘争」としてのサービス顧客インタラクションの研究』(中央経済社)など。2021年度から文部科学省価値創造人材育成拠点形成事業として「京都クリエイティブ・アッサンブラージュ」を立ち上げる。
イノベーションは、利用者の潜在ニーズを満たすこと、あるいは利用者の問題を解決することだと言われます。あるいは、デザインのよいキレイなもの、カッコいいものが、多くの人々を魅了することで実現されると考えられています。
しかし、実際のイノベーションは、そのような方法で生まれてはいません。それらはイノベーションの要素や結果です。イノベーションが生まれるためにもっとも必要なことは、「文化をつくる」ということなのです。
私はアップルやグーグルがインターネットによって世界の構造を大きく変化させていく時代の中を、通称シリコンバレーにある「パロアルト研究所(Palo Alto Research Center、PARC)」で研究者として過ごしていました。パロアルト研究所は、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズの逸話にも登場し、今や世界のスタンダードであるマウスやGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェイス)が生み出された場所として知られています。このようにテクノロジーの研究所として有名ですが、実は文化人類学、社会学の研究所としてもひとつの時代を築きました。
私の専門は「文化の経営学」です。それは文化という、一見とりとめのない、形のないものを理解し、構築していく方法を探求するものです。
「時代をつくる」ということ
「文化の経営学」を通してイノベーションを読み解くアプローチについて、マクドナルドを例にお話します。マクドナルドは文化を破壊してきたものであり、そこには文化などないと思われているかもしれません。あるいは、マクドナルドは単に美味しくて安いから流行ったと言われることもあります。マクドナルドが成功した理由について、社会学の教科書では、属人性を排除した効率的な経営が挙げられています。
しかし、少し考えてみましょう。あれだけの人々を魅了したのは効率性だけなのでしょうか? マクドナルドは時代の象徴となりましたが、それは文化をつくったからなのです。
「文化の経営学」では、たとえばここで当時のアメリカに生きたティーンネイジャーに視点を移して考えてみるということをします。60年代を生きるアメリカのティーンエイジャーが、J.L.キンチェロー氏の『ハンバーガーの記号(The Sign of the Burger)』という本に、実体験として書かれていますので、参照してみましょう。
アメリカは、その広大な国土のほとんどが田舎です。その田舎の、ベビーブーマーであるキンチェロー氏は、家族や親族とともに暮らし、豊かな自然に囲まれた生活をしていました。古い映画に登場するような、お母さんが料理をし、家族全員でお祈りをして食事をするという毎日を送っていたわけです。
一方、世界を見渡すと、60年代は社会というものが大きく変化した時代であることがわかります。公民権運動、フェミニズム、学生運動、カウンターカルチャー、ベトナム反戦運動が続きます。社会が大きく変化する中で、ティーンネイジャーのキンチェロー氏は自らの生活に違和感を感じるようになります。そして何よりも、周りの親戚などが、古典的な人種差別を話題にすることに遭遇するたび、反発を感じたといいます。
そんなキンチェロー氏の前に颯爽と現れたのがマクドナルドだったのです。彼は「私の最初の視点は、マクドナルドを目の前にし、自分が生まれ育ったものに関する恥ずかしさに向き合う努力によって構成されていた。つまり、マクドナルドは自分の求めていた近代性の確証を提供してくれたのである」と綴っています。
近代性とは、資本主義の興隆、科学技術の発展、「都会」の出現などに特徴づけられますが、田舎に突如として現れたマクドナルドはその象徴であったわけです。
広大な草原と農地、そして広い空しかない田舎に生まれ育ったキンチェロー氏にとって、マクドナルドという存在は、自分を「ここではないどこか」へ誘ってくれる、未知の世界でした。
若い頃の、新しい「何か」に一歩踏み込むときの感覚を想像してください。
鮮やかで、新しく、憧れているけど恐しく、ドキドキする感覚。それです。それがマクドナルドのイノベーションの本質です。潜在ニーズを満たして満足させたのではなく、むしろ人々にとってコワいドキドキする体験を生み出したのです。その時代のティーンネイジャーの自己表現を可能にしたことがマクドナルドの凄みでした。
そしてマクドナルドは、自らの価値が「ドキドキ」にあることに自覚的でした。マクドナルドは子どもをターゲットにしていきます。両親から離れ、自分でお金を握りしめ、自分の好きなものを注文するというドキドキする体験を全米で、世界中で共有していくこと。そうしてマクドナルドはフード産業を超えた文化をつくっていったのです。
時代をつくるということは、マクドナルドがそうしたように、歴史を捉えて、新しい時代を表現することです。それにより一線を画すビジネスや現象になることができます。今ある世界のしがらみから自由になり、ただ、何か面白いアイデアを思いついてイノベーションを起こしたのではありません。今ある世界を見つめて、時代の変化を感じ取り、現在人々が感じている違和感、焦燥感、不安感などを捉えて、新しい時代を表現し、人々をそこに連れ出すことこそがイノベーションには欠かせないのです。
「文化の経営学」では、もちろんテクノロジーによって生まれた文化も扱いますが、その研究対象はモーターサイクルから生まれたライダーの文化、ヴィーガンなどのフード、コーヒーやワインなどの食文化、さらには現在もLVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)の影響力が物語る「ラグジュアリー」までに及びます。