猫はなぜ高いところから落ちても足から着地できるのか? 科学者は何百年も昔から、猫の宙返りに心惹かれ、物理、光学、数学、神経科学、ロボティクスなどのアプローチからその驚くべき謎を探究してきた。「ネコひねり問題」を解き明かすとともに、猫をめぐる科学者たちの真摯かつ愉快な研究エピソードの数々を紹介する『「ネコひねり問題」を超一流の科学者たちが全力で考えてみた』が発刊された。
養老孟司氏(解剖学者)「猫にまつわる挿話もとても面白い。苦手な人でも物理を勉強したくなるだろう。」、円城塔氏(作家)「夏目漱石がもし本書を読んでいたならば、『吾輩は猫である』作中の水島寒月は、「首縊りの力学」にならべて「ネコひねり問題」を講じただろう。」、吉川浩満氏(文筆家)「猫の宙返りから科学史が見える! こんな本ほかにある?」と絶賛された、本書の内容の一部を紹介します。

天才科学者が発見した「猫に実験を手伝ってもらう意外すぎた方法」とは?Photo: Adobe Stock

実験助手を務めた猫

 ロバート・ウィリアムズ・ウッド(一八六八~一九五五)は、猫をペットとして飼うだけでなく、猫に実験を手伝ってもらう賢い方法を考え出した。

 ウッドは紫外線の研究の先駆者で、光のスペクトル(色の分布)の測定によって物質の構造を調べる分光学という分野を幅広く研究した。研究に打ち込むたちで、家族と休暇を過ごしている最中にも研究をしていた。伝記には次のように書かれている。

 毎年夏、ウッドは家族とともにロングアイランドの古い農場で過ごしていた。納屋の中に即席の実験室を作っていて、実験機器の一つである長さ一二メートルの格子分光写真器はおそらく当時世界最大のもので、間違いなくそれまでの誰よりも優れた結果を得ることができた。

 地元の石工が敷いた下水管を使って作られていた。その装置が使われるのは夏だけで、それ以外の何ヵ月間かはあらゆる種類の野生動物がそこを隠れ処にしていて、光の通る道にクモの巣が詰まっていた。ウッドがその管を掃除した方法は、いまでは語り草となっている。

 ペットの猫を一方の端から中に入れて端を塞ぐと、猫は逃げようと反対端まで走っていく。それにつれてクモの巣がきわめて効果的にすっかり取り除かれるのだ([1])。

 この猫は自分から進んで実験助手を務めたわけではないだろうが、ひどい目に遭ったということもないだろう。(註:現在、このような方法を推奨できないのはいうまでもない。)

映画『アルマゲドン』の先取り

 ウッドは持ち前の想像力を働かせて猫の新しい使い方を思いついただけではない。アーサー・トレインと共著で、『地球を揺らした男』(一九一五)と『月を作った者』(一九一六)という二編のSF小説を書いたのだ。

『地球を揺らした男』では、謎の科学者が地球の自転を変えてしまうような核爆弾で世界中の交戦国を脅し、恒久的和平を結ばせる。のちに誕生する核兵器を予感させるような話である(細かい点は明らかに間違っているが)。

 続編の『月を作った者』では、地球に近づいてくる小惑星の針路を逸らすか、または破壊するために、科学者たちが宇宙へ旅立つ。八二年後の一九九八年に公開された映画『アルマゲドン』の筋書きを先取りしたような話だ。

数々の重要な科学的発見

 ウッドは数々の重要な科学的発見をおこなったが、おそらくもっとも有名な業績は、二十世紀初めに「N線」の存在を一刀両断で否定したことだろう。

 X線や「ウラン線」(放射能)がすでに発見されていたこの頃、目に見えない新しいタイプの放射線が至るところに飛び交っていると考えられていた。

 そんな中、フランスのナンシーで研究をしていたプロスペル=ルネ・ブロンロが、X線と違って電気と相互作用する新たなタイプの放射線を発見する。そしてその新たな放射線に、住んでいる町の名を取って「N線」と名付けた。それを受けてさまざまな科学者が、ブロンロの結果を裏付けたとする研究論文を次々に発表した。

 しかしそれよりもはるかに大勢の科学者は、N線の証拠を何一つ見つけられなかった。そこでウッドは一九〇四年、この謎を解明しようと、ナンシーに渡ってブロンロと一緒に実験をおこなった。

 すると、N線の存在の証拠が電気火花の激しいちらつきの変化と称するものだけであることに気づいた。そこで誰も見ていない隙に実験装置から重要な部品を取り外してみた。

世の中の不思議に対する感性

 何も知らない研究者たちは実験を続けたが、結果はまったく変わらなかった。フランス人科学者のおめでたすぎる頭の中以外にN線の存在する場所がどこにもないことを、ウッドは証明したのだ。

 SFを書いたり、猫をほかの人と違う方法で使ったり、N線の正体を暴いたりしたことから分かるとおり、ウッドは子どものように頭の回転が速く、世の中の不思議に対する感性を持っていた。

 一九四一年にウッドの伝記を書いたウィリアム・シーブルックは、最高の褒め言葉のつもりで彼のことを「いっさい成長しなかった少年」と評している([2])。

(本原稿は、グレゴリー・J・グバー著『「ネコひねり問題」を超一流の科学者たちが全力で考えてみた』〈水谷淳訳〉を抜粋・編集したものです)

【参考文献】
[1]Diecke, “Robert Williams Wood, 1868-1955.”
[2]Seabrook, Doctor Wood, Modern Wizard of the Laboratory.