(5)日本の歴史や文化を良く学ぼう

 私の出身校である北京大学の学生を含め、多くの中国の人たちは日本の政治、歴史、文化などに格別な関心を抱いている。どこに行っても日本のことを聞かれる。天皇制、徳川家、武士道、明治維新、終身雇用制、高度経済成長、戦争責任……、特に歴史に関してはとことん聞かれたし、よく議論もした。

 そのたびに「自分は日本のことを知らな過ぎる」と反省し、高校の教科書を読み返したり、人生の先輩方に伺ったりした。しかも、外の世界では、日本のことを外国語で説明しなければならない。ここできちんと説明できないと、「日本人は自分の国のことも知らないのか」と馬鹿にされてしまう。

 少なくとも私は、18歳で日本を飛び出してから、初めて自分が「国民」であることを認識した。他者との交流の過程で、自分が如何に祖国のことを知らなかったか、学んでいなかったか、愛していなかったかを知った。

 だから、時間があるうちに日本の歴史や文化を学び、自分なりの見方を確立していこう。可能であれば、京都、仙台、広島、沖縄など地方都市にも赴いて、自らの肌で感じたい。これら、新成人になった皆さんだけでなく、いまの私にとっても切迫した課題である。共に汗を流そう。

“テクニカル”を避けよ

(6)大局観と長期的視点に立脚した「いま」を生きよう

 これは私にとっては深く反省すべき点だ。私は学生時代、メディアや論壇で発信することに集中しすぎてしまい、数十年後に生きるかもしれない北京大学での人脈作りや、変化が激しすぎるが故にいま見ておかなければ二度と見られないかもしれない中国の地方都市や農村を丹念に歩くことを、無意識のうちに怠った。

 2003~2010年の間、ほとんどの時間を北京で過ごした。近視眼的だった。「いまがチャンス、とにかくものにしよう」という意識が強すぎた。今を精一杯生きることは大切だが、それは大局観と長期的視点に基づいた「いま」でなければならない。「捨て身」になっては本末転倒なのだと、この年になってようやく気づいた。

 3歳のころ交通事故で命を失いかけた経験も影響してか、私は人生を急ぎ過ぎた。ぜひ皆さんには、大局観と長期的視点に立脚した「いま」を生きてほしい。

 その過程で、“テクニカルな作業”は極力避けるべきであることを忘れないでほしい。例えば、本を読むにしても、ノウハウを伝授することに主眼を置いたハウツー本ではなく、歴史に名を遺した人物が回想的に書いた古典などに触れるべきだ。