忘れられない辛い過去に今も苦しめられることはありませんか。作家とは、「嘘の世界を作り上げて読者を楽しませる仕事」です。それは、「意志を持った嘘で自分の記憶を塗り替える技術」でもあります。『ぼくらは嘘でつながっている。』を書いた作家の浅生鴨氏は、じつは誰もが無意識に「小説家」と同じことをしていると言います。過去も、現在すらも、自分の意志で変えることができるのだと。(構成:編集部/今野良介)

「過去は自分の力で変えられる」と作家は言う。

小学生が遠足のあとに書く作文は一人ひとり違っています。

誰もが同じ場所へ行って同じような体験をしているのに、そして、同じ長さの原稿用紙に書いているのに、書かれる内容はずいぶんと異なります。

もちろんそれは、それぞれが自分の物語を持っているからです。

常に僕たちは複雑な世界を理解するために、受け取った現実を自分にとってわかりやすい嘘に置き換えていきます。それはちょうど、自分のための物語をずっと書き続けているようなものです。きっと人は生涯をかけて誰にも読まれることのない一冊の小説を書いているのでしょう。

僕たちは自分を主人公にした、人生という小説を毎日少しずつ書き足しているのです。新しく目にしたもの、聞こえたもの、感じたことは、自分がこれまで綴ってきた物語に、最も上手く当てはまるように、言い方を変えればつじつまが合うように変えられて追加されていきます。そうやって物語はさらに強くなっていきます。

これまでの記憶と体験をすべて振り返れば、かなりの長さの物語になるはずですが、なぜかそうはなりません。僕たちの綴る物語の長さは一定なのです。人によってそれぞれの持つ物語の長さは違っていますが、その長さは変わることがありません。僕たちの頭の中に創り出される世界の大きさは人によって決まっていて、それはずっと変わることがないのです。

子どものころに見ていた世界と、大人になってから見る世界とで、その大きさが変わっているわけではありません。ただ時間の流れ方や、ものの見え方が変わるだけなのです。

人生の小説はずっと同じページ数ですから、僕たちは新しい体験をするたびに、過去の物語をどんどん書き換え、シーンを削っていきます

丸一日遊び呆けて、毎日十ページほどの小説になっていた少年時代の夏休みは、大人になるにつれて、ある年の夏としてまとめられた五ページになり、一ページになり、そして数行になり、最後には「あの夏」という単語に収められていきます。

楽しかったいくつもの冒険をひとつのエピソードにまとめ、別の場所で起こったできごとを同じ場所で起きた話にしてしまいます。そうしなければ、長さの決まっている小説には収まりきらないからです。

これまでに出会った多くの人たちの中から、役もセリフもある登場人物として残している人もいれば、単なる通行人やエキストラになった人もいます。それどころかもう自分の小説からは跡形もなく消えてしまった人さえいます。小さな子どものころには毎日のように出会って遊んで話していたはずの友だちも、もうそのほとんどは登場人物として残っていません。全員をまとめて「幼いころの友だち」にしています。

公園でお菓子をくれたおばさんや、急に叱ってきたおじさんたちも、本当は何人もいたはずなのですが、印象的な数人だけを残して、過去に誰かがお菓子をくれたエピソードや叱られたエピソードは、すべてその数人に任せます。

新しく入ってくる情報をどんどん嘘に置き換え、自分の物語に書き足しながら、物語全体のつじつまが合うように過去も同時に書き変えていくのですから、僕たちは無意識のうちになかなか骨の折れる作業をしているのです。

頭の中で書いている人生の小説は、書き続けているうちにやがて特定のジャンルになっていきます。一度ジャンルが確定すると、そこに上手く当てはまらないエピソードは拒絶され、なんとかつじつまが合うように極端な改竄が行われ、それでも上手くいかないときには、なかったことにされます。

物語が強くなればなるほど、完成度が高まるほど、ジャンルに合わない事実の断片を受け入れることは難しくなります。「歳を重ねると頭が硬くなる」「柔軟な思考ができなくなる」などといいますが、それはそういうことなのです。

僕たちが書いている人生の小説。それは僕たち自身が創り出した嘘のはずです。それなのに、自分でつくった嘘にとらわれすぎてその嘘以外の嘘を受け入れられなくなるのは本末転倒という気がしなくもありません。

どうせ嘘なのだから、所詮は小説なのだから、そのときどきで一番都合のいいように書き直せばいいと開き直っているくらいが、人生を軽やかに楽しめそうです。

けっして他人が読むことのない小説なのですから、現在も過去も、いくらでも自由に書き換えてしまえばいいのです。(了)

浅生鴨(あそう・かも)
1971年、兵庫県生まれ。作家、広告プランナー。出版社「ネコノス」創業者。早稲田大学第二文学部除籍。中学時代から1日1冊の読書を社会人になるまで続ける。ゲーム、音楽、イベント運営、IT、音響照明、映像制作、デザイン、広告など多業界を渡り歩く。31歳の時、バイクに乗っていた時に大型トラックと接触。三次救急で病院に運ばれ10日間意識不明で生死を彷徨う大事故に遭うが、一命を取りとめる。「あれから先はおまけの人生。死にそうになるのは淋しかったから、生きている間は楽しく過ごしたい」と話す。リハビリを経てNHKに入局。制作局のディレクターとして「週刊こどもニュース」「ハートネットTV」「NHKスペシャル」など、福祉・報道系の番組制作に多数携わる。広報局に異動し、2009年に開設したツイッター「@NHK_PR」が公式アカウントらしからぬ「ユルい」ツイートで人気を呼び、60万人以上のフォロワーを集め「中の人1号」として話題になる。2013年に初の短編小説「エビくん」を「群像」で発表。2014年NHKを退職。現在は執筆活動を中心に自社での出版・同人誌制作、広告やテレビ番組の企画・制作・演出などを手がける。著書に『伴走者』(講談社)、『アグニオン』(新潮社)、『だから僕は、ググらない。』(大和出版)、『どこでもない場所』『すべては一度きり』(以上、左右社)など多数。元ラグビー選手。福島の山を保有。声優としてドラマに参加。満席の日本青年館でライブ経験あり。キューバへ訪れた際にスパイ容疑をかけられ拘束。一時期油田を所有していた。座間から都内まで10時間近く徒歩で移動し打合せに遅刻。筒井康隆と岡崎体育とえび満月がわりと好き。2021年10月から短篇小説を週に2本「note」で発表する狂気の連載を続ける。