「単なる妄想」を「地に足のついた戦略」にまで落とし込む方法を解説した『直感と論理をつなぐ思考法──VISION DRIVEN』という本をご存じだろうか。各業界のトップランナーたちに絶賛され、論理一辺倒の考え方に違和感を抱く人たちに大きな共感を呼んでいる一冊だ。本稿では、同書の一部を抜粋・編集してお届けする。
「ありのままに見る」とはどういうことか
じーっと漢字を眺めていると、それが見知らぬ図形のように見えてくることがある。いつもは一定の意味を持っているように思えた記号から、急に意味だけが剝がれ落ち、奇妙な模様にしか見えなくなる──そんな経験は誰にもあるはずだ。
これは脳のモードの切り替わりとして理解できる。ふだん僕たちが文字に触れるときには、言語脳が前面に出ている。しかし、これがふとしたことでイメージ脳に切り替わると、文字は意味を失い、不思議な線の集まりに見えてきてしまうのである。そして、これこそが「ありのまま」に見ている状態である。
下の絵を見てほしい。これを見た瞬間、アヒルに見えたという人はいるだろうか? ある研究によれば、その人は言語脳が優勢の人だという。逆に、ウサギに見えたという人は、イメージ脳が優位なのだとか。
人によってある種の「利き脳」のようなものはあるというが、脳のモードは決して固定的なものではなく、切り替えが可能である。
デッサンが上手い人とは
「脳のモード切り替えが上手い人」である
デッサンが上手い人というのは、モードの切り替えを意識的に行っている。正確なデッサンができる人は、イメージ脳を維持し、見えているとおりにそれを写し取っているのである。とはいえ、「見えているとおりに描く」というのは思いのほか難しい。多くの人は、絵を描いているときにも言語脳に切り替わり、「あるがままに見る」のを邪魔されてしまう。
下図は僕が10年以上前に絵を描くワークショップに参加したときの自画像だ。左側がワークショップ開始時点に描いたもの、右側がワークショップ参加後に描いたものである。
ここで注目してほしいのは、絵が上手いか下手かという差ではない。それぞれの絵を描くときに、僕の視覚がどのように変化しているかに注目してみてほしい。
どちらの絵を描くときも、僕は鏡を使って自分の顔を見ていたわけだが、左側の絵では大して視覚を使っていないことがわかる。たとえば、メガネが真っ黒に塗られているが、それは視覚の代わりに「メガネ=黒縁」という「理解」を使ってしまっているからだ。しかし、ワークショップで学んだあとに、メガネをよく観察してみると、一部で光が反射していることに気づいた。その結果、右側の絵ではメガネに白い部分が入っている。
「絵心がない=ありのままに観れていない」だけ
要するに、両者の違いをつくっているのは、情報のメッシュ(網目)の細かさである。どれだけ細かくインプットできているかの差が、絵としてのアウトプットの差になって現れているのだ。
実際、そのワークショップでは絵画の技法についてのレクチャーは皆無で、教えてもらったのはあくまでも「対象物をよく観ること」「見えたままを写し取ること」だけである。
僕自身、このワークショップを受けるまでは、自分はいわゆる「絵心」がない人間なのだと思っていた。しかし、絵が苦手な人の半数以上は、「ありのままに観ること」でつまずいているに過ぎないのだそうだ。だからこそ、「ありのままに観る」ためのトレーニングを積めば、ある程度のレベルまではたちまちデッサン力を引き上げることができる。
本書の後半では、こうした変化を体験いただけるエクササイズをいくつか盛り込んでおいた。
(※本記事は『直感と論理をつなぐ思考法──VISION DRIVEN』の本文を抜粋・再編集したものです)