テレビ番組「セブンルール」(フジテレビ系列)にフリーランスの美術教師・末永幸歩さんが出演し、大きな注目を集めている(2022年1月25日放送/関西地区では同年7月7日に再放送)。番組内では、アートの世界に馴染みのない大人たちが美術にのめり込んでいる様子のほか、彼女自身が実践している独自の「アート子育て」が放送された。
都内公立校で教鞭をとりながら原稿を書き溜めていたという末永さんの『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』は、発売直後から大きな反響を呼び、17万部を超えるベストセラーとなった。いまでは全国の小学校~大学はもちろん、国内大手企業やベンチャー各社までもが、彼女に出張授業を依頼するまでになっているという。本稿では、本書より内容の一部を特別に公開する(初出:2020年2月19日。再掲載にあたって一部内容を再構成しました)。
モネの『睡蓮』を「鑑賞」できますか?
突然ですが、みなさんは、美術館に行くことがありますか?
美術館に来たつもりになって、次の絵を「鑑賞」してみてください。
1906年ごろ/キャンバスに油彩/大原美術館所蔵
印象派の中心人物として知られるモネが、彼が愛した水生植物の睡蓮を題材に、季節や時間とともに変化する光の効果をとらえた一連の絵画作品の1つ。岸や空を描かず、大胆に水面だけを描いた構図からは、日本美術の影響も感じられる。
私たちは「1枚の絵画」すらもじっくり見られない
さて、ここで質問です。
いま、あなたは「絵を見ていた時間」と、その下の「解説文を読んでいた時間」、どちらのほうが長かったですか?
「ほとんど解説文に目を向けていた」という人がけっこういるのではないかと思います。あるいは、「鑑賞? なんとなく面倒だな……」と感じて、絵画どころか解説文すら読み飛ばした人もいるかもしれません。
私自身も美大生だったころはそうでした。美術館を訪れることは多かったにもかかわらず、じっくり鑑賞するのはせいぜい数秒。すかさず作品に添えられた題名や制作年、解説などを読んで、なんとなく納得したような気になっていました。
いま思えば、「鑑賞」のためというよりも、作品情報と実物を照らし合わせる「確認作業」のために美術館に行っていたようなものです。
これでは見えるはずのものも見えませんし、感じられるはずのものも感じられません。
とはいえ、「作品をじっくり鑑賞する」というのは、案外けっこう難しいものです。じっと見ているつもりでもだんだんと頭がボーっとしてきて、いつのまにか別のことを考えていたりもします。
いかにも想像力を刺激してくれそうなアート作品を前にしても、こんな具合なのだとすれば、まさに一事が万事。
「自分なりのものの見方・考え方」などとはほど遠いところで、物事の表面だけを撫でてわかった気になり、大事なことを素通りしてしまっている──そんな人が大半なのではないかと思います。
……でも、本当にそれでいいのでしょうか?
大人が《睡蓮》のなかに発見できないもの
「かえるがいる」
岡山県にある大原美術館で、4歳の男の子がモネの《睡蓮》を指差して、こんな言葉を発したことがあったそうです。
みなさんは先ほどの絵のなかに「かえる」を発見できましたか?
わざわざ戻って「かえる探し」をしていただいた方にはお気の毒ですが、じつをいうと、この作品のなかに「かえる」は描かれていません。それどころか、モネの作品群である《睡蓮》には、「かえる」が描かれたものは1枚もないのです。
その場にいた学芸員は、この絵のなかに「かえる」がいないことは当然知っていたはずですが「えっ、どこにいるの」と聞き返しました。すると、その男の子はこう答えたそうです。
「いま水にもぐっている」
私はこれこそが「本来の意味でのアート鑑賞」なのだと考えています。
その男の子は、作品名だとか解説文といった既存の情報に「正解」を見つけ出そうとはしませんでした。むしろ、「自分だけのものの見方」でその作品をとらえて、「彼なりの答え」を手に入れています。
彼の答えを聞いて、みなさんはどう感じましたか?
くだらない? 子どもじみている?
しかし、ビジネスだろうと学問だろうと人生だろうと、こうして「自分のものの見方」を持てる人こそが、結果を出したり、幸せを手にしたりしているのではないでしょうか?
じっと動かない1枚の絵画を前にしてすら「自分なりの答え」をつくれない人が、激動する複雑な現実世界のなかで、果たしてなにかを生み出したりできるでしょうか?
「中学生が嫌いになる教科」
…第1位は「美術」!?
みなさんは「美術」という教科に対して、どんな印象を持っていますか?
「そもそも絵が下手なので、あまり好きではなかったです……」
「美的センスがないんでしょうね。いつも成績が『2』でした」
「生きていくうえでは、役には立たない教科だと思います……」
教師としては残念なかぎりですが、多くの人からこのような答えが返ってきます。
それにしても、「美術」へのこうした苦手意識は、どこから生まれるのでしょう?
じつのところ、これには明確な“分岐点”があるのではないか、という仮説を私は持っています。
その分岐点とは、この連載のタイトルにもある「13歳」です。
次のグラフをご覧ください。これは小学生と中学生それぞれの「好きな教科」についての調査結果をもとに私が作成したグラフです。
拡大画像表示 学研教育総合研究所「中学生白書Web版 2017年8月調査 中学生の日常生活・学習に関する調査」および「小学生白書Web版 2017年8月調査 小学生の日常生活・学習に関する調査」のデータをもとに著者作成
小学校の「図工」は第3位の人気を誇っているのですが、中学校の「美術」になった途端に人気が急落しているのが見て取れます。小→中の変化に注目するなら、下落幅は全教科のなかで第1位……。「美術」はなんと「最も人気をなくす教科」なのです。
だとすると、「13歳前後」のタイミングで、「美術嫌いの生徒」が急増している可能性は十分に考えられそうです。
美術はいま「大人が最優先で学び直すべき教科」
「すべての子どもはアーティストである。問題なのは、どうすれば大人になったときにもアーティストのままでいられるかだ」
これはパブロ・ピカソの有名な言葉です。ピカソがいうとおり、私たちはもともと、《睡蓮》のなかに「自分だけのかえる」を見出すようなアーティスト性を持っていたはずです。
しかし、「アーティストのままでいられる大人」はほとんどいません。おそらくは「13歳前後」を分岐点として、「かえるを見つける力」を失っていきます。
さらに深刻なのは、私たちは「自分だけのものの見方・考え方」を喪失していることに気づいてすらいないということです。
話題の企画展で絵画を鑑賞した気分になり、高評価の店でおいしい料理を味わった気分になり、ネットニュースやSNSの投稿で世界を知った気分になり、LINEで人と会話した気分になり、仕事や日常でも何かを選択・決断した気分になっている。
しかし、そこに「自分なりの視点」は本当にあるでしょうか?
いま、こうした危機感を背景として、大人の学びの世界でも「あなただけのかえる」を見つける方法が見直されています。
ですから、私たちが「美術」で学ぶべきだったのは、「作品のつくり方」ではありません。むしろ、その根本にある「アート的なものの考え方=アート思考」を身につけることこそが、「美術」という授業の本来の役割なのです。
その意味で、「美術」はいま「大人が最優先で学び直すべき科目」である──美術教師のポジショントークだと思われるかもしれませんが、私は本気でそう信じています。
末永幸歩(すえなが・ゆきほ)
美術教師/浦和大学こども学部講師/東京学芸大学個人研究員/アーティスト
東京都出身。武蔵野美術大学造形学部卒業、東京学芸大学大学院教育学研究科(美術教育)修了。「絵を描く」「ものをつくる」「美術史の知識を得る」といった知識・技術偏重型の美術教育に問題意識を持ち、アートを通して「ものの見方を広げる」ことに力点を置いたユニークな授業を、東京学芸大学附属国際中等教育学校や都内公立中学校で展開。生徒たちからは「美術がこんなに楽しかったなんて!」「物事を考えるための基本がわかる授業」と大きな反響を得ている。
自らもアーティスト活動を行うとともに、内発的な興味・好奇心・疑問から創造的な活動を育む子ども向けのアートワークショップや、出張授業・研修・講演など、大人に向けたアートの授業も行っている。初の著書『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』(ダイヤモンド社)が17万部超のベストセラーに。オンラインで受講できるUdemy講座「大人こそ受けたい『アート思考』の授業──瀬戸内海に浮かぶアートの島・直島で3つの力を磨く」を開講。