女子校の「教育力」の源泉はどこにあるのか会場には、お父さん方の出席も目立った

いまにつながる創立者の言葉

――以前、コタカさんの生涯について伺ったことがあります。地元には尋常小学校しかなくて、高等小学校までの片道10kmを、ちょうちんを持って通ったと。本当は物理や数学を学びたかったものの、それはかなわず、単身上京して教師になる道を歩まれた。

梶取 大妻は最初15人ほどで始まり、あっという間に何百人が学んだといいます。「女性は黙っていろ」という当時の社会で、女子校の創立者はどの学校もとても素晴らしかったと思います。

 各教室には校訓「恥を知れ」の額が掲げられています。ただ、社会も変化していますから、校訓の意味も変わっていきます。コタカ先生は「自分の分をわきまえなさい、自立していきなさい」ということだったと思います。

「それが自分にとってどういうことか、1人1人考えてください」と今年の入学式で話しました。私はこの言葉を「たしなみの心」と解釈しています。1年後にこの解釈は変わっているかもしれませんが。

 学びは知識を与えられること、ではありません。答えは何もない。その背後にあるものの理解が大切です。知識の切り売りなら、ネットで十分、先生は必要ありません。創立者の言葉を唱えているだけでは意味がありませんから。校訓を自分の言葉として言い換え、普段の生活の中で考え続けることが大切だと思います。

――時代の変化の中で女子教育も変わってきたかと思います。その点はいかがでしょうか。

鵜崎 女子校の意味というと、歴史をさかのぼってしまいます。かつて女子生徒は、男装して教室に潜り込んで、授業を受けていました。当時の女子は、何かの資格を得たいとか、立派な人になりたいということよりも、純粋に学びたいという気持ちが強かった。

 日本の社会の状況を見て、女子学院ですと宣教師の先生方が、女子にもしっかりと教育を与えないといけないと考えていました。いまの女子教育はどうか。リーダーシップを取るために学んでいるのかといえば、必ずしもそうではない。

 何をなすかよりも、どう生きるのか、何に自分の持てる力を発揮していくのか。それが見つかれば、ちゅうちょなく踏み出してほしい。そういう教育を行っています。

――それはウェルビーイングに通じるものがありますね。

梶取 大妻は「Vision50」で、これからの教育を語っています。私の中での解釈は、稼げる女性になりなさいという意味ではありません。家庭にあってもいい。良妻賢母はいまでも素晴らしい概念だと思います。いろいろなあり方があっていい。

 経済的にも精神的にも自立している大人になっていく。結婚をするのもしないのも自由です。男女の役割も社会もこれから変わっていきます。すべて認められるのが、私の中での「Vision50」です。

 生徒には、「自分が世界を変えていこう」と言っています。私は囲碁・将棋が好きですが、女流棋士の国内トップは中学2年生の仲邑菫(なかむらすみれ)さんです。世界トップは21歳の上野愛咲美(あさみ)さんです。彼女らは、“女流”として大事に育てられた。女子教育というのは、ある時期までは、守りながら育てていくことにあると思います。

――どちらの学校も主体的、自立的に生きていくための力を、女子校というある意味恵まれた世界の中で、実現しようとしているのだと感じました。

梶取 今日のお話は、進学実績や授業について語る普段の“分かりやすい”学校説明会とは、全く違うものだと思います。分かりづらいですが、教育の本質についてお話ししています。

>>(2)に続く