日本のANAが最初の大口顧客だったことから“夢の旅客機”と喧伝された米ボーイングの787型機。トラブルの続発により、世界で運航中だった全50機が地上に降りてから1カ月を迎えようとしている。未だ事故原因は究明中であり、解決には時間がかかると見られる中、戦後日本の航空機関連産業のあり方を探った。

 米国の動きは早かった。

 1月7日、日本のJAL機(米ボーイング787型機)が米ボストンのローガン国際空港に着陸後、機体後方にある補助動力電源装置のバッテリーから出火した。過去の試験飛行でも同じような事故があったことから、米国のNTSB(国家運輸安全委員会)はすぐに事故原因の調査に乗り出した。

2004年、日本の先端素材メーカーの東レは、米ボーイングと787型機向け炭素繊維複合材の提供に関して、向こう16年間という長期的な包括契約を締結した。主翼、尾翼と胴体に使用されている
Photo:REUTERS/AFLO

 NTSBとは、米国内における輸送に関する事故を調査し、原因を究明して将来の事故を防止する目的で、ライセンスの剥奪など強い権限を持つ法執行機関FAA(米国連邦航空局)に対して勧告を行う独立行政機関。もともとはFAAの一部だったが、1975年4月にFAAから切り離し、米国大統領が民間人のエキスパートをボードメンバーに据えるなど、過去に大惨事へと至った“政治家による介入”を防ぐ専任組織だ。

 一方で、日本が動いたのは1月16日からだった。飛行中のANA機(787型機)で、機体前方にある電気室のバッテリーから煙が発生し、高松空港に緊急着陸した。この時から、国土交通省の外局である運輸安全委員会(JTSB)などが調査に乗り出した。

 実はこの時、米国のNTSBが主導する調査チームが日本に来た。表向きは、「事故発生当事国としての日本が管轄する航空機事故の調査に米国が協力を申し出た」という格好になっている。だが、「実際には、米国の税金で、米国の利益を損ねる可能性のある重大事故の調査のために派遣された」(在米の航空法務コンサルタント)。