新型コロナウィルスの流行、ウクライナへの軍事侵攻、ChatGPTなどの新しいAI、干ばつや地震などの自然災害……日々伝えられる暗く、目まぐるしいニュースに「これから10年後、自分の人生はどうなるのか」と漠然とした不安を覚える人は多いはず。しかし、そうした不安について考える暇もなく、未来が日常にどんどん押し寄せてくるのが今の私たちを取り巻く時代だ。
『「これから何が起こるのか」を知るための教養 SF超入門』著者の冬木糸一さんは、この状況を「現実はSF化した」と表現し、すべての人にSFが必要だと述べている。
なぜ今、私たちはSFを読むべきなのか。そして、どの作品から読んだらいいのか。この連載では、本書を特別に抜粋しながら紹介していく。初回は「はじめに」を全文公開する。
現実は、SF化した。そして10年後、何が起こるのか
この本は、すべての人のためのSF入門書である。SFとはScience Fictionの略であり、本書では、基本的に科学的な描写を取り入れた小説作品のことを指す。
これまであまりSFに縁がなかった人たちでもわかるゼロからの説明を心がけつつ、年季の入ったSF読者(ファン)の方々にも楽しんでもらえるよう工夫している。
なぜSF読者だけでなく「すべての人」のための入門書が必要なのか。それはいま、フィクション、つまり空想、絵空事の世界で起こっていた出来事が、われわれ一人ひとりの人生にも及んでいるからである。
「すでに現実はSF化した」─これは、周りの世界を見ると明らかだ。
AIは人間の能力を部分的に超えつつあり、本や雑誌の表紙などあらゆる分野でAI生成のイラストが使われはじめている。戦場では自分で攻撃判断までをもやってのける自律兵器が実用化された。世界中で感染症が流行し、気候変動は止まらない。遺伝子改変を施した豚から人間への臓器移植も行われるようになった。国家の監視手段はますます多様化し、SNSを通して市民の行動を制御しようと工作を繰り広げている。そして火星に人を送り込み、長期滞在するための準備が着々と進められている。もはや現代の情景をそのまま描いても、SFになってしまう時代なのだといえる。
現実のSF化─それは単に「テクノロジー」に限定されず、どのような思想、傾向が今後必要とされるものなのか、という「価値観」についても同様だ。技術の進歩は人の価値観も同時に変えてゆくはずだ。たとえば、「男女平等」の行き着く先は、性別それ自体を自分で自由に選択できるようになる社会である。
だからこそ、この先「テクノロジー」と「価値観」にどのような潮流の変化があるのかについて、われわれはあらかじめ備える必要がある。
作家のエリオット・ペパーが2017年に「なぜビジネスリーダーはSFを読むべきなのか」と題した文章の中で、その詳しい理由を語っている(注1)。
19世紀末、ニューヨークは15万頭もの馬が荷物をのせて通りを行き交い、ひと月で4万トンもの糞を落とすせいで、悪臭に満ちあふれていた。1898年、都市計画者たちがこの危機に対して解決策を出し合うべく世界中から招集されたが、名案は出なかった(糞尿を始末するにも輸送が必要で、その輸送手段である馬が糞尿を垂れ流しているのだから、行き詰まるのは当然だ)。
しかし、それから14年後。ニューヨークを走る自動車の台数は馬の頭数を上回り、「馬糞の悪夢」はいっきに忘れ去られた。
ペパーは、仮に19世紀の都市計画者たちが、ビッグデータや機械学習の技術を利用できていたとしても、これらのツールは大した助けにはならなかっただろう、と述べている。
われわれはテクノロジーの変化が加速していく時代に生きている。「現代よりも先の世界」を積極的に描き出し、問いを次々と先取りしていかなければ、議論が間に合わない時代なのである。「現実化する前に(あるいは現実化するのと同時に)」、変化に対して備えなければいけない。そこで必要とされるのが、SFなのだ。
支配者(パワープレイヤー)たちの頭の中を知れ
あらゆるフィクションの中で、SFほど現実に影響を与えたジャンルはない。そのために欠かせない存在となっているのが、SF作品を読み、SF的に思考する世界の巨大IT企業の創業者、経営者たちである。
たとえば熱心なSF愛好家として知られるイーロン・マスクは、作品、作家が自分の人生に影響を与えたと、たびたび語っている。
「私の行動の根底にある哲学を明確にする必要があります。ダグラス・アダムスとアイザック・アシモフに影響された、とてもシンプルなものです(注2)」
「私が(アイザック・アシモフの「ファウンデーションシリーズ」から)引き出した教訓は、文明を長持ちさせ、暗黒時代の確率を最小限に抑え、暗黒時代があったとしてもその長さを短くする可能性が高い一連の行動を取るようにすべきだということだ(注3)」
ダグラス・アダムスとアイザック・アシモフはいずれもSF界を代表する作家で、本書でも二人の著書『銀河ヒッチハイク・ガイド』、『われはロボット』を紹介している。
アマゾン創業者のジェフ・ベゾスも、SFからビジネスのアイデアを得ている。2000年に立ち上げたロケット企業・ブルー・オリジン。そのスタートには、『スノウ・クラッシュ』の著者、ニール・スティーヴンスンが深く関わっているのだ。元々知り合いだった二人だが、ベゾスが、あるとき「ずっと夢だったロケット企業を始めたいと思っているんだ」と相談したところ、「今日すぐにやるべきだ!」と返され、行動を起こしたのだという(注4)。
『スノウ・クラッシュ』のファンは多く、他にもペイパルの創業者で投資家のピーター・ティール、メタ(旧フェイスブック)CEOのマーク・ザッカーバーグ、グーグルの創業者セルゲイ・ブリン、ラリー・ペイジ、VRのトップブランド、オキュラス(現・メタ)の創業者パルマー・ラッキーなどなど……、錚々たる面々が、作品から影響を受けたと語っている。
経営者たちは、その「思考」もSF的だ。
『LIFE3.0 人工知能時代に人間であるということ』(紀伊國屋書店)というノンフィクションの中で、2015年に、ラリー・ペイジとイーロン・マスクがのパーティで出会った時の会話の内容が描写されている。
二人は「機械(デジタル生命)はいずれ意識を持つか」を議論。最終的に、ペイジはデジタル生命は宇宙の進化における次のステップとして自然で望ましいものであると主張し、「デジタル生命の心を抑圧せずに解放してやれば、ほぼ間違いなく良い結果が訪れる」と語った。一方のマスクは「デジタル生命がわれわれの大切にしているものを破壊しないとそこまで確信できる根拠があるのか。主張の細部を示せ」と迫ったという。
ここでの二人のやりとりは、まさにSF作品が問うているテーマそのものである。
たった数社の企業が、国家をも超える影響力を有しつつあるのが、われわれが生きる世界だ。その支配者たちがSF的な世界観を持って物を考え、実際にビジネスを立ち上げ、現実を変化させている。パワープレイヤーたちの思想・行動で、人工知能・ロボット、仮想世界、宇宙開発、生物工学─こうした各分野には、大きな変化が起こってきたし、これからも起こるだろう。
われわれのほとんどは(筆者も含めて)SFを読んだところでイーロン・マスクやジェフ・ベゾス、ラリー・ペイジのようになれるわけではない。
しかし一方で、生活のあらゆる側面において否が応でもGAFAMを含む巨大企業経営者、パワープレイヤーたちの思想と行動の影響を受ける。SF作品は、彼らのいわば「聖典」であり、頭の中を覗くための重要な材料となり得るのだ。われわれ一人ひとりがこの社会でサヴァイヴしていくために、彼らが想像する「世界」の一端を知ることは、とても重要になる。
単なる「予測」を超える「物語」の想像力
なお一点注意しておきたいのは、SFは未来予測をする道具「ではない」ということだ。SF作家は基本的に、良質で面白い作品を書くことを目的としている。正確な未来予測は、説得力のある未来を描き出すための手段のひとつであって、SFの目的そのものではない。
むしろSFの一番の魅力は、「フィクション」の部分にある。
・もし、「不健康でいることが許されない社会」になったら?(伊藤計劃『ハーモニー』)
・異星人が、地球の人類を侵略しに来たら?(劉慈欣『三体』)
・男性も妊娠できるようになったら?(田中兆子『徴産制』)
「こういう未来にいたら、自分だったら、どうする?/どう考えるだろう?」という想像力を、物語の力によって手に入れることができるのだ。
ハマったら抜け出せない「SF沼」へ、ようこそ。10年後の未来を想像するために必要な素材は、すべてここにある。
※この記事は『「これから何が起こるのか」を知るための教養 SF超入門』からの抜粋です。
注1:Why Business Leaders Need to Read More Science Fiction(筆者が英文を要約)
https://hbr.org/2017/07/why-business-leaders-need-to-read-more-science-fiction
https://www.forbes.com/sites/christianstadler/2022/03/22/elon-musk-and-jeff-bezos-were-inspired-by-sci-fi-and-so-should-you/?sh=2fd77f19771b