建物と居住者の“2つの老い”に見舞われる日本のマンション。建て替えにはハード・ソフト両面で高いハードルがある。シリーズ第4回は、マンションの建て替え事情や、成功させるための条件を取材した。

48戸から92戸へ
生まれ変わったマンション

 JR南武線と東急田園都市線の交差駅のある川崎市高津区溝口。駅から20分ほど歩いた小高い丘の上、住所では高津区上作延に「グレーシアガーデン溝の口」がある。そこは神奈川県住宅供給公社が東京五輪の年、1964年に分譲した「かみさく7・8号棟」があった所だ。

 かつては2棟で48戸だったが、2010年3月、92戸の新マンションへ生まれ変わった。勉強会を始めてから4年5ヵ月。きわめて短期間で建て替えを実現できたのは、課題への取り組みを人任せにせず、情報を共有しながら開かれた議論を続けたからだった。

「私は、(建て替えは)する必要はないと思っていました」

 かみさく7・8号棟建替組合理事長(当時)だった大野健さんは、当初の気持ちを振り返り、こう語る。

「住宅供給公社の建物なのでよくできており、細かいトラブルがあっても住めないわけではなく、痛痒も感じない。武藤さんが持ってくる資料も、見ずに放っておくことがほとんどでした」

「武藤さん」とは、隣に住み、建替組合では副理事長だった武藤修康さんだ。マンションの将来に危機感を持っていた。

「仕事が建築関係だったこともあり、このままでは修繕積立金だけで住環境を維持するのは難しくなり、建て替えが必要になると思っていました。セミナーを受講し、資料を大野さんにも渡したりするのだけど、いっこうに乗ってくれなかった」と笑う。