令和の「不動産問題」は、親の財産をめぐるドラマチックな争いではありません。親世代の遺した「いらない資産」こそが、新しい価値観を持つ子世代を悩ませています。また、相続時の税金対策のための不動産投資の裏にも思わぬリスクが潜んでいて……?本稿では、牧野知弘『負動産地獄 その相続は重荷です』(文春新書)の一部を抜粋・編集して紹介します。
誰にでも起こり得る相続問題
相続問題は、これまでは資産家が亡くなり、その相続をめぐって親族が壮絶な争いを繰り広げるといったストーリーがドラマや映画の定番でした。また、多額の相続税を回避しようと、様々な対策を立てる相続税対策物語は、不動産屋や金融機関、税理士が中心となって組み立てられるもので、どこか別世界の話でした。
つまり多くの人たちにとって「自分ごと」としての相続というイベントは、いつか必ず訪れるものである反面、起きたら仕方がないし、まさか相続税なんてかからないだろうし、それほどたいしたことではない、と何となく先送りにして考える程度のものだったのではないでしょうか。
戦後77年が経過した現在、世代的には戦中世代の退場が続き、これからは一番の人口ボリュームを誇る団塊世代の相続が始まります。そしてこの世代になると、一般庶民でもある程度の資産を持つようになっています。日本人が豊かになっていく姿を実現した世代だからです。彼らは戦後の経済成長の中で家という資産を持ち、終身雇用を前提とした会社勤務を続けたことによって多少の退職金を得ることができ、毎日の生活に困ることのない程度の年金を手にしてきたために、彼らの親世代よりもはるかに豊かな資産を持つ人が多く出現しています。
そして彼らが手にした資産は、やがて次の世代へと継承されていきます。相続はこの「家族」という土台を前提として、「家族」という系譜に乗って資産が受け継がれていくのです。そして資産の代表的なものが、現金と家をはじめとする不動産です。
不動産に対する価値観は変化している
しかし世代が違えば、世の中に対する価値観も変わります。戦後三世代が経過していく中で、祖父母世代、父母世代、そして子供世代で生活スタイルはずいぶん変わってきています。人々の価値観が変われば、当然不動産に対する価値観も変わってきます。両親が一生懸命に働いて建てた都市郊外の一軒家は、子供世代にとっては見向きもしないほど価値の感じられないものになっています。地方の親の実家も、先祖代々の家だからとか、近所の目がうるさいだとかの理由で売らずに相続していかなければならない、と漠然と考えている人がいますが、実際には使われないまま空き家化し、その管理や処分で悩む人たちが続出しています。そしてこうした、実は今となっては「あまりほしくない」資産を、あまり考えもせずに相続してしまうと、そこには多大なリスクが含まれていることに、まだ多くの人が気付いていないのです。