【エッセー】習氏の後継者問題、世界を揺るがす恐れもPhoto:Pool/gettyimages

 中国最後の王朝である清の歴代皇帝は、北京の紫禁城の奥にある乾清宮で日常の政務を執り行っていた。赤い壁と光沢のある黄色い屋根瓦が特徴的な堂々たる建造物だ。現在も観光客に公開されているこの豪華な正殿で、皇帝は廷臣に相談したり賓客を迎えたりしていた。複雑な装飾が施された台の上に皇帝の玉座が設けられ、その上方には王朝の最高機密である次期皇帝の名前が収められた大きな扁額(へんがく)が掛かっていた。

 この慣行は1722年に即位した雍正帝から始まった。父親が存命のうちに多くの兄弟と権力の座をめぐって争った苦い経験から生まれたものだ。雍正帝が考えた解決策は、後継者を選んだ上で、自分の死後に初めてその名を明らかにすることだった。廷臣らは2カ所に収められた指示書を比較することで、選ばれた人物を確認する。その一つは扁額の裏に保管され、もう一つは皇帝自身が身に着けていた。そうすることで候補者間の抗争が起きるリスクを減らし、現政権がレームダック(死に体)化することを避け、次の皇帝に実権を奪われるのを防げると雍正帝は考えた。