「この本は、まちがいなく買いだ」。竹内薫氏絶賛の1冊『僕たちは、宇宙のことぜんぜんわからない』。本書は、「宇宙は何でできてるの?」「ビッグバンの時には何が起こったの?」「ダークマターって何?」「宇宙で僕らはひとりぼっちなの?」……こんな「まだ解かれていない宇宙の謎」を解説する「世界一わかりやすくて面白い宇宙入門」だ。本連載では、本書の一部から抜粋して、わかりやすい宇宙の話をお伝えする。
どっちが正しいの?
空間は埋められるのを待っている無限の空っぽな場所なんだろうか? それとも物質がないと存在できないものなんだろうか?
実はどっちでもない、というのはかなり確実だ。空間は空っぽの場所ではないし、物質どうしの関係性でもない。
どうしてそんなことがわかるのかというと、空間はどっちの考え方にも当てはまらない振る舞いをするからだ。曲がったりゆがんだり膨らんだりするのだ。
わけがわからない。「何だって?」
「空間が曲がる」とか「空間が膨らむ」というフレーズを注意して読むと、ちょっとどぎまぎしてしまうはずだ。
いったいどういう意味なんだ? 意味があるのか? 空間がただの概念だとしたら、曲がったり膨らんだりするはずないじゃないか。
空間が物体の位置を測るための物差しなのだとしたら、空間の曲がり具合とか膨らみ具合なんてどうやって測るんだ?
いい質問だ!
空間が曲がるという考え方にどうしてこんなに戸惑うんだろう?
それは、ほとんどの人は生まれてからずっと、空間とは何かが起こるための見えない背景だと頭の中でイメージしているからだ。
床が厚い木の板でできていて、両側が硬い壁で仕切られた、劇場の舞台みたいなイメージだ。
この抽象的な舞台は宇宙の一部じゃなくて、その中に宇宙が入っているだけなんだから、この舞台が曲がるなんてありえないと思ってしまうのだ。
でも残念なことに、君の頭の中にあるイメージは間違っている。
一般相対性理論を理解して、現代の空間の概念について考えるためには、空間は抽象的な舞台であるという考え方を捨てないといけない。
空間は物理的な実体であるという考え方を受け入れるのだ。空間もいろんな性質を持っていて、いろんなふうに振る舞う。
そして宇宙の中にある物質から影響を受ける。そういうイメージを持たないといけないのだ。
頭の中で変な声が響いてきたかもしれない。でも、覚悟を決めてほしい。本当にわけがわからないのはここからだ。
この考え方を受け入れて、空間にまつわる本当に奇妙で基本的な未解決の謎を正しく理解するためには、さっきのイメージを少しずつ解きほぐしていかないといけない。
空間のネバネバの中を泳ぐ
空間が波立ったりゆがんだりする物理的実体だなんて、どうしてありえるんだろう? どういう意味なんだろう?
空間は実は空っぽの部屋(ものすごく大きい部屋)なんかじゃなくて、濃いネバネバでできた巨大な塊のようなものだ。
ふつう、そのネバネバの中を物体は楽々と動き回ることができる。空気で満たされた部屋の中を歩き回っても、空気の粒子には気づかない。それと同じだ。
でもある決まった条件になると、このネバネバがゆがんで、その中を動く物体の進行方向が変わることがある。
また、このネバネバはぐちゃぐちゃかき回されて波立つこともある。そうすると、その中にある物体の形が変わる。
このネバネバ(「空間ネバネバ」と呼ぼう)は、本物の空間の完璧なたとえにはなっていない。
でもこのたとえを思い浮かべれば、いまこの瞬間に君がいるこの空間は、形の変わらない抽象的なものなんかじゃないとイメージできる。
君は何か具体的な実体の中にいて、その実体は伸びたり揺れたりゆがんだりするけれど、君はそれに気がつかないのだ。
いまちょうど、君の身体を空間のさざ波が通り抜けたかもしれない。あるいは、この瞬間に身体が変な方向に引き伸ばされているけれど、気がつかないだけかもしれない。
このネバネバがただネバネバする以外に何かをするなんて、最近までわからなかった。だから何にもないんだと勘違いしていたのだ。
では、この空間ネバネバはどんなことができるんだろう? 実はいろんな変なことができるのだ。
まず、空間は膨らむことができる。空間が膨らむってどういうことか、ちょっとのあいだじっくり考えてみよう。
ネバネバの中を実際には動いていないのに、物体どうしがどんどん離れていくということだ。
君がネバネバの中でじっと座っていたら、突然そのネバネバが膨らみはじめたとイメージしてほしい。
別の人と向かい合わせに座っていたら、君もその人もネバネバに対して動いてなんかいないのに、その人はどんどん遠ざかっていくのだ。
このネバネバが膨らんでいるかどうかは、どうしたらわかるだろう?
ネバネバを測るための物差しも一緒に伸びてしまうんじゃないの?
確かに、物差しの中にあるすべての原子のあいだの空間も膨らんで、原子はお互いに引き離されそうになる。
もしその物差しが超やわらかいキャンディーでできていたら、一緒に伸びていくだろう。
でも硬い物差しを使えば、その中の原子は(電磁気力で)互いにしっかり結びついていて、長さは変わらないので、空間が増えているのに気づけるはずだ。
しかも、実際に空間が膨らんでいることはわかっている。
生まれたばかりの宇宙では空間がとんでもないスピードで膨らんで引き伸ばされたこともわかっているし、それと同じような膨張はいまも起こっている。
また、空間はゆがむこともできる。空間ネバネバは、ちょうどキャンディーのようにぐにゃっとつぶれたり形が変わったりすることもあるのだ。
アインシュタインの一般相対性理論によれば、その空間のゆがみこそが重力である。質量のある物体がまわりの空間をゆがめて変形させるのだ。
空間が変形すると、その中を動いている物体は思った通りには進まなくなる。ゆがんだネバネバの塊の中で野球のボールを投げると、まっすぐ飛んでいかない。
ネバネバのゆがみ具合に合わせてカーブしていくのだ。ボウリングの球みたいに何か重い物体のせいでネバネバが激しくゆがんでいると、野球のボールはそのまわりをぐるぐる回ってしまうかもしれない。
ちょうど、月が地球のまわりを、地球が太陽のまわりを回っているのと同じように。
それは人間の肉眼でも見ることができるのだ! たとえば太陽とか、ダークマターの大きな塊など、重い天体の近くを光が通ると、光の進行方向が曲がる。
もし重力が空間のゆがみでなくて、質量を持った物体のあいだに働くただの力だったとしたら、質量ゼロの光子が引き寄せられるはずがない。
光の進行方向が曲がるのを説明するためには、空間そのものがゆがんでいると考えるしかないのだ。
最後に、空間は波打つこともできる。伸びたりゆがんだりできるのなら、そんなに突拍子もないことじゃない。
でもおもしろいことに、その伸びたりゆがんだりが空間ネバネバの中でどんどん広がっていく。それが重力波だ。
空間が突然ゆがんだら、そのゆがみが、ちょうど音波や水の波のように四方八方に広がっていく。
空間がただの抽象的な概念だったり、完全に空っぽだったりしたら、そんなことは起こりようがない。
何か物理的な実体がなければそんなことは起こらないのだ。
このさざ波が本当に発生するってどうしてわかるのかというと、(a)一般相対性理論で予測されていたからと、(b)実際にそのさざ波がとらえられたからだ。
宇宙のどこかで2つの重いブラックホールが、ものすごい勢いでお互いのまわりを回転しはじめた。
そして空間がとんでもなくゆがんで、そのゆがみが宇宙空間に広がっていった。その空間のさざ波が、ここ地球上で超高感度の検出装置を使って検出されたのだ。
このさざ波は、空間が伸びたり縮んだりしてできると考えればいい。空間のさざ波が通り過ぎると、空間が一方向には縮んでもう一方向には伸びるのだ。
うさんくさいなあ。本当なの?
空間がただの空っぽの場所じゃなくて実体があるなんて、突拍子もない話に聞こえるかもしれない。
でも宇宙で経験することはその通りだ。実験や観測でかなりはっきりわかっている。空間内での物体どうしの距離は、目に見えない抽象的な背景で測れるものじゃない。
確かに、空間は物理的な性質を持っていて、物理的な振る舞いをする存在だと考えれば、空間のゆがみとか膨張といった奇妙な現象を説明できるかもしれない。でもそうすると、もっといろんな疑問が湧いてくる。
たとえば、いままで空間と呼んでいたものを、これからは「物理的ネバネバ」と呼んでみたくなるかもしれない。
でもそのネバネバは何かの中にあるはずで、今度はそれを空間と呼んでもいいかもしれない。
うまいアイデアだけれど、いまのところわかっている限り(たいしてわかってはいないけれど)、このネバネバが何か別のものの中にある必要はない。
ネバネバが曲がったりゆがんだりするといっても、それが入っている何か広い部屋のようなものに対してゆがむんじゃなくて、ネバネバ自体がゆがむだけ。空間の各場所どうしの関係が変わるだけなのだ。
でも、この空間ネバネバが何か別のものの中に入っている必要はないからといっても、実際には何かの中に入っている可能性だってある。
もしかしたら、僕らが空間と呼んでいるものは、実はもっと大きい「超空間」の中に入っているのかもしれない。
そしてその超空間こそ、無限に広がる空っぽの場所なのかもしれない。でも、ぜんぜんわからない。
この宇宙の中に空間が存在していない場所はありえるだろうか? つまり、空間がネバネバだとしたら、ネバネバじゃない場所、ネバネバが存在していない場所というのはありえるんだろうか?
どうも意味が通りにくい疑問だ。僕らが知っている物理法則は、どれも空間の存在を前提にしている。
では、空間の外ではどんな法則が働いているっていうんだろうか? やっぱり、ぜんぜんわからない。
空間を実体のあるものだと考えるこの新しい考え方は、最近になって出てきたものだ。空間が何なのかはまだ少ししかわかっていない。
まだ直感的な概念にしょっちゅう足を引っ張られている。
古代人が動物を狩ったりするときにはその直感的な概念がすごく役に立ったけれど、いまではその足枷(あしかせ)を振りほどいて、空間は僕らのイメージとはぜんぜん違うんだと意識しないといけないのだ。