科学の世界では、企業が資金提供する研究と、研究者倫理の問題がしばしば起こります。『健康になる技術 大全』の著者・林英恵さんは「特に、生活と密接しているパブリックヘルスの分野は注意が必要」と警鐘を鳴らしています。
本稿では、ハーバード公衆衛生大学院の教授陣から「日本人のために書かれた最高の書」「世界で活躍するスペシャリストが書いた唯一無二の本」と激賞されている、最先端のエビデンスをもとに「健康に長生きする方法」を伝授した本書から一部を抜粋・編集して、「砂糖と心臓病」に関する、業界の不都合な真実を明かします 。
監修:イチローカワチ(ハーバード公衆衛生大学院教授 元学部長)
*書籍『健康になる技術 大全』の「食事の章」はケンブリッジ大学疫学ユニット上級研究員 今村文昭博士による監修

業界団体がひた隠しにした「砂糖と心臓病の関係」。その不都合な真実とは?Photo:Adobe Stock

資金提供を受けた筆者が、論文の結果を操作

 科学の世界においては、企業が資金を提供する研究と、研究者の倫理についての問題がよく起こります。生活と密接しているパブリックヘルスの分野は特に、この点に注意が必要です。そしてこれは砂糖に関しても当てはまります。

 2016年、著名な学術誌に衝撃的な記事が掲載されました。その内容は、アメリカの食生活のガイドラインなどをはじめとする、政策に影響を与えた論文の筆者が、業界団体から資金提供を受けて、論文の結果を操作していたというものです(*1)。

 歴史的な背景を辿ってみましょう。まず、1943年に、甘味料ビジネスのための業界団体として、SRF(Sugar Research Foundation)が設立されました。それから少し後の1950年代、アメリカでは心臓病による男性の死亡率が増加しました。当時、アイゼンハワー大統領自身も心臓発作で闘病していました。

 心臓病の予防が国を挙げての取り組みとなり、1960年代、心臓病の原因に関する研究が進みます。結果、2つの説が有力視されるようになりました。1つは、飽和脂肪酸やコレステロールのとりすぎ説(ミネソタ大学・アンセル・キーズ博士による)、もう1つは糖のとりすぎ説(イギリス、クィーンエリザベス大学・ジョン・ユドキン博士による)です。

 1967年に世界的にも権威のある医学の学術雑誌であるNEJM(New England Journal of Medicine)に、キーズが唱える「飽和脂肪酸とコレステロールを減らし、不飽和脂肪酸を増やすことが心臓疾患を防ぐ。炭水化物=糖類による心臓病のリスクは少ない」という説を基にした論文が掲載されました(*1,2)。

 これにより、メディアをはじめとする世論は、心臓病予防のために食事で注目すべきは「脂肪とコレステロールである」との方向に傾き、糖類と心臓疾患の関連に関する議論は抑えられることになりました。ここから、アメリカの食生活ガイドラインや、低脂肪ダイエットへの流れが一気に作られることとなったのです(*1)。低脂肪ダイエットに関しては、現代では推奨されていません。

現在は、資金提供の有無の明示が必須

 この一件に関して、今回の論文は、当時何が起こったのかを歴史的な資料から明らかにしたのです。これによると、SRFは、論文に携わったハーバード大学の研究者3名それぞれに、現在の価格での約5万ドル(約650万円)を支払い、論文の結果を操作するよう依頼しました。出版前にSRFが原稿をチェックしたり、組織的な操作が行われたりしたことを明らかにしました。

 そのうちの一つの論文(*2)の共著者のハーバード大学の研究者は、当時の同大学栄養学部の学部長で、政府組織の専門家としても意見を求められる、栄養学界の重鎮の1人でした(*1)。政策の流れを決定づけるような論文執筆や、政策のアドバイスに関わる立場の人たちが、特定の食品団体から資金提供を受けていたこと、またそれを明らかにしていなかったことがわかり、大きく問題視されることとなりました。

 現在では、学術誌においては、通常、利益相反(conflict of interest・コンフリクト オブ インタレスト)といって、関連団体からの資金提供の有無を明らかにすることが求められています。この論文では、他の研究資金については開示されているものの、SRFによる研究資金については開示されていませんでした。

 実際、1984年まで、NEJMは資金提供に関する開示を研究者らに求めてきませんでした(*3)。これ以外にも、その後もSRFが後押しする製糖業界は、糖質と心臓疾患の関連性について糖類への注意を薄め、他の食べ物に焦点を当てるような研究を続けて行っていることがわかっています(*1)。

消費者もお金の流れをチェックすべき

 この事例のように、たばこやアルコール、食品の業界団体による研究資金提供と、研究の結果が業界に有利なように結論づけられているという論文はいくつも出ています。例えば、飲料業界が資金提供した研究は、研究者が独自で資金を集めた研究よりも、業界に好ましいような結論が発表されていると報告されています(*4,5)。同様の結果は、複数の食品分野でも恒常的に見られており、ビジネスと研究の倫理観が問われています。

 研究者が倫理観を持つのはもちろん重要なことですが、消費者も、研究の結果などが発表された際には、必ず、どこが資金提供をしているか、企業のお金が絡んでいるのかなどはチェックするポイントとして持っておいた方がいいでしょう。また、メディアは、こうした研究の発表を行う際は、研究資金の出所も追記する、もしくは論文にリンクできるような形で発表するなどすべきだと感じます。

(本稿は、林英恵著『健康になる技術 大全』より一部を抜粋・編集したものです)