「遊び負債」をためてはいけない

 責任に縛られない子どもたちにとって、遊びの世界と現実生活は絡み合っている。いないいないばあの遊びや公園での散歩、親の用事への同行さえ、空想やたわむれの機会になる。だが大きくなると「ふざけるのはやめなさい」と言われ、休憩より宿題の時間が増え、喜びよりまじめさが求められることを知る。

 もちろん、ほとんどの人は大人になっても子ども心を忘れず、ときには枕投げをしたり、ジェットコースターに乗ったり、落ちてくる雪を舌で受け止めたりもする。

 だが子ども心を解放する機会はめったに訪れない。この目的志向の社会において、人は幼いころから、遊びへの自然な衝動を抑えつけられて育つと、ブラウンは指摘する。

「過剰に手出しする過保護な親がいたり、成績に対してご褒美を与えられたりして育つと、『遊び負債』が積み上がって、どんどん遊び心を発揮できなくなっていく

 この「遊び負債」がとくに目立つのが、ブラウンが難関大学での講義で出会うエリート学生だという。今日の学生はかつてないほど知識豊富だが、自分から喜びを見出そうとしなくなっている。「文化にはもっと遊びが必要なんだ」と彼は物憂げに言った。(中略)

遊びは心を「無防備」にする

 さまざまな組織、とくにテクノロジー系スタートアップや企業の研究開発グループなどが、創造性を高めようとして、幼稚園の教室や園庭にヒントを得たイノベーション空間を生み出している。

 明るい原色を使い、硬いフローリングの代わりにゴムのフロアマットやビロードのラグを敷き、持ち運べるカラフルなビーンバッグのソファや発泡体のキューブを置いている。階段代わりにロッククライミングの壁や滑り台を設置している企業もあるほどだ。

 この方法が効果を発揮するのは、「エネルギー」や「自由」など、ほかの喜びの美学を空間に取り入れているからでもある(「喜びの美学」については本書を参照)。

 遊び心が感じられるほとんどの場所は、この2つの美学を活用している。あふれんばかりのエネルギーと束縛されない自由は、ほとばしるような活力に満ちた遊び心を刺激するのだ。

 ただ、この手法にはマイナス面もある。長い間子ども心を忘れていた人は、そうした環境に圧倒されたり、見下されたような気持ちになることがある──職場環境ではなおさらだ。

 遊びは心を解放する一方で、心を無防備にもする。遊びは決まりきった日常に風穴を開けることによって、私たちを予測不可能な現実にさらすからだ。

 生涯ずっと遊びを大切にしてきた人は、遊び方によいも悪いもなく、自分のやりたいように遊べばいいとわかっているが、遊ばない人は、うまく遊べていないのではないかと不安になる。

 その結果、残念なことに、こうした大人の遊び場は、遊びたいという欲求に火をつけるどころか、逆に抵抗感を生むことがある。

(本稿は、イングリッド・フェテル・リー著『Joyful 感性を磨く本』からの抜粋です)