テレビ・ネットで「日本のウォーレン・バフェット」と話題! 1936年(昭和11年)、兵庫県の貧しい農家に4人兄弟の末っ子として生まれた。高校を出してもらってから、ペットショップに就職。そこでお客だった証券会社の役員と株の話をするようになった。そして19歳のとき、4つの銘柄を買ったことが株式投資の始まりだった。あれから68年、バブル崩壊では10億円あった資産が2億円にまで減った。しかし今、資産は18億円まで増え、月6億円を売買しながら、デイトレーダーとして日々相場に挑んでいる。隠しごとなしに日常生活から投資法まで全部書いた話題の書『87歳、現役トレーダー シゲルさんの教え 資産18億円を築いた「投資術」』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものをお送りする。
2002年、投資を再始動
いったん投資から少し距離を置いた私ですが、2002年、本格的に投資を再始動しました。
理由は、私が投資を始めたころからすると考えられないほど便利な「インターネット取引」と出合ったからです。
株をめぐる環境は大きく変わりました。1970年代に東証の株価表示が手書きから電光掲示板になり、証券会社にも大型ディスプレイで国内外の金融情報を映し出す「QUICK」が導入されました。
投資家はQUICKを確認するため、われ先にと証券会社に押しかけたものです。私も、QUICKを確認するため、国鉄の元町駅近くの菱光証券まで足しげく通ったことをよく覚えています。
66歳でネット取引開始
売買注文は店頭か電話でしかできなかったのですが、1990年に東証にコンピュータが導入されると、徐々にコンピュータでの売買が普及するようになっていきました。
その移り変わりを、私はこの目で見てきたわけです。個人投資家が本格的にインターネットで株を買えるようになったのは、1998年の松井証券のサービスが最初です。
私が始めたのは2002年、66歳のときですが、それでも結構早いタイミングだったと思います。
パソコンに触った
ことさえなかった
実のところ、私はネット取引を始めるまで、パソコンに触ったことはありませんでした。
そんななか、付き合いのあった岩井証券(現・岩井コスモ証券)の社員から、「うちの会社でネット取引を始めるので、やってみませんか」と連絡をもらったのです。
パソコンやらネット取引やら、さっぱりわからなかったのですが、よくよく話を聞いてみると、ものすごく便利で、そのうえ手数料も安い。
「これはやらない手はないぞ」と思い、すぐに大阪・梅田のヨドバシカメラまでパソコンを買いに行きました。
※本稿は、『87歳、現役トレーダー シゲルさんの教え 資産18億円を築いた「投資術」』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。