人を動かすには「論理的な正しさ」も「情熱的な訴え」も必要ない。「認知バイアス」によって、私たちは気がつかないうちに、誰かに動かされている。人間が生得的に持っているこの心理的な傾向をビジネスや公共分野に活かそうとする動きはますます活発になっている。認知バイアスを利用した「行動経済学」について理解を深めることは、様々なリスクから自分の身を守るためにも、うまく相手を動かして目的を達成するためにも、非常に重要だ。本連載では、『勘違いが人を動かす──教養としての行動経済学入門』から私たちの生活を取り囲む様々な認知バイアスについて豊富な事例と科学的知見を紹介しながら、有益なアドバイスを提供する。
「1万5000円のハンバーガー」を「安い」と感じてしまう
一流シェフのダニエル・ブールーは、高級料理しか出さない自分のレストランのメニューに、ハンバーガーを加えた。
値段は100ドル(約1万5000円)。
あなたは注文したいだろうか? ハンバーガーにしては高すぎる? ブールーのハンバーガーは、神戸牛やトリュフを使っていて、マクドナルドのハンバーガーよりは美味しそうだ。だが同じ金額を出せば、マクドナルドのハンバーガーを80個も買える。
ところで、ニューヨークのフードトラック「666バーガー」では、「ドゥーシュバーガー(Douche Burger)」と言われるハンバーガーを出している〔doucheは、米国英語で「ムカつく」といった意味〕。
テイクアウトして路上で食べなければならないが、神戸牛やトリュフだけでなく、フォアグラやキャビア、ロブスターまで入っている。おまけに、金箔でラッピングしてくれる。
店がつけたキャッチコピーは、「美味しくないかもしれないが、ものすごくリッチな気分になれる。ムカつく」。値段は666ドル(約10万円)。
あなたは注文したいだろうか? 筆者なら、もっと安い軽食にしたい。
だが、ここで不思議な現象が起きる。
この「ムカつく」バーガーの法外な価格が頭に残っている状態で、ブールーのハンバーガーのことを思い出すと、突然、それが値ごろな価格に思えてくるのだ。
たしかに、100ドルは決して安くない。しかし、それを高いと思うか安いと思うかはあなた次第だ。
素敵なレストランのテーブルにつき、一流シェフが手掛けたバーガーをゆっくりと堪能できる。それも異様に高い「ムカつく」バーガーの6分の1以下の値段で! 不思議なバイアス効果が作用し、ブールーのハンバーガーが妥当な値段に思えてくる。
誰も頼まない「とびきり高いワイン」がメニューに載る理由
ブールーも「666バーガー」も、このとき客の心理に何が起きているかよくわかっている。
これはアンカリング、または参照効果と呼ばれる現象だ。
人は、文脈なしに物事を判断するのが苦手だ。
比較する情報が無ければ、何が安くて、何が高いのかよくわからない。だからたいてい、値段などの数字を比べて判断する。
スーツケースを持ち上げて、その重さをキロ単位まで当てられる人はまずいないが、スーツケースを2つ別々に持ち上げれば、どちらが重いかがわかるのと同じ原理だ。
比べることで生じる、認知バイアスの大きな効果がある。それは、アンカーポイント(先に与えられた情報)と比べることだ〔アンカーとは「錨(いかり)」のこと〕。
666ドルのハンバーガー(アンカー)に驚いた後では、100ドルのハンバーガーは手頃な値段に感じる。
メニューに載っている1番高いワインは、2番目に高いワインを選ばせるための囮(おとり)というのは有名な話だ。
1番高いワインは、実際には店に置いていないことすら多い。
ロンドンのあるイタリアンレストランでは、実に重い錨(アンカー)を投げ入れた。
ピザやパスタが並ぶメニューに、約3000ポンドするベスパのスクーターを載せたのだ。
(本記事は『勘違いが人を動かす──教養としての行動経済学入門』から一部を抜粋・改変したものです)