パチンコ、麻雀、女、酒、タバコを欠かさず、ほぼニート状態の父親。それに母親が共依存するという複雑な家庭環境に育った。14歳のとき、父親が自己破産して失踪。貧しい生活を支えた母親は病に倒れ、半身不随に。苦境のなか、独学で大学に合格、奨学金を得た。そして、兄・成田悠輔がくれた本をきっかけに「起業」を志した。話題の書『14歳のときに教えてほしかった 起業家という冒険』(ダイヤモンド社)の著者・成田修造は、体当たりで起業家の道を歩むようになる。本書は起業を通じた人生の指南書で、何歳からでも組織に頼らず、副業・独立・起業でビジネスを展開するときに必須の内容。これからは会社員であっても、自分で事業をつくれると強い。その思考法とノウハウを全公開する。
※本稿は、『14歳のときに教えてほしかった 起業家という冒険(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。

【会社員必見】35年前「世界時価総額ランキングTOP10」に日本企業は7社…いまは何社ある?Photo: Adobe Stock

バブル崩壊までの30年
その後の30年

起業家という冒険をとり巻く日本経済を振り返ってみると、バブル崩壊までの30年は、その後の30年とはまったく違うことがわかります。

僕は1989年生まれで、物心がついた頃には、日本のバブルは崩壊していました。

日本が強かった時代を体験したことがなく、いわゆる「失われた30年」とともに年齢を重ねてきたのです。

所得倍増計画から
ジャパン アズ ナンバーワンへ

1960年に池田勇人内閣が本格実施した「所得倍増計画」、1972年に田中角栄首相が提言した「日本列島改造論」といった政治的なリーダーシップや戦後の産業構造変化、国際関係の変化もあり、日本は高度経済成長期を迎えました。

日本企業が世界を席巻し、1979年に出版された『ジャパン アズ ナンバーワン』という米ハーバード大教授、エズラ・F・ヴォーゲル氏の著書が70万部を超すベストセラーになりました。

日本人の給料が右肩上がりに増え、生活が豊かになった時代が確かにあったのです。

30年以上も復活を
果たせなかった日本

このような過去の経緯を知ってはいても、バブル崩壊以後の日本を生きてきた僕にとって、高度経済成長期の日本はまったく違う国のように感じられます。

僕が問題意識を持っているのは、バブルが崩壊したことよりも、そこから30年以上も復活を果たせなかったことにあります。

復活どころか、凋落したといっても過言ではない状況です。

世界の時価総額
ランキングトップ10

僕が生まれた1989年の時点では、世界の時価総額ランキングトップ10のうち7社を日本企業が占めていました。ところが、今やトップ10に日本企業は1社もありません。

【会社員必見】35年前「世界時価総額ランキングTOP10」に日本企業は7社…いまは何社ある?

ほとんどは米国企業で、そのうち5社は1990年以降にできたスタートアップです。

なぜ世界における日本の存在感はここまで小さくなってしまったのでしょうか?

大きなイノベーション
を起こす日本企業は…

もちろん原因は1つではありませんが、「イノベーションを起こせなかった」ことは大きな要因とされています。

ここ15年ほどの状況を振り返ると、iPhoneやアンドロイド、フェイスブック、テスラの電気自動車をはじめ、米国企業が生み出したプロダクトやサービスが世界を席巻する中、日本からは大きなイノベーションを起こすようなものがあまり生まれませんでした。

長きにわたる
日本の低成長の原因

1997年に米ハーバードビジネススクールの教授だったクレイトン・クリステンセンは、既存のビジネスを打破し、産業構造そのものをガラッと変化させることを「破壊的イノベーション」と表現しましたが、アマゾンが書店を、アップルが電話を大きく変えたように、日本の産業は、海外からやってきた破壊的イノベーションの波にのみ込まれてしまいました。

こうした海外企業の進出を、逆に日本から破壊的イノベーションで打ち返せなかったことが、長きにわたる日本の低成長につながった側面は確実にあると思います。

※本稿は、『14歳のときに教えてほしかった 起業家という冒険』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。