人を動かすには「論理的な正しさ」も「情熱的な訴え」も必要ない。「認知バイアス」によって、私たちは気がつかないうちに、誰かに動かされている。人間が生得的に持っているこの心理的な傾向をビジネスや公共分野に活かそうとする動きはますます活発になっている。認知バイアスを利用した「行動経済学」について理解を深めることは、様々なリスクから自分の身を守るためにも、うまく相手を動かして目的を達成するためにも、非常に重要だ。本連載では、『勘違いが人を動かす──教養としての行動経済学入門』から私たちの生活を取り囲む様々な認知バイアスについて豊富な事例と科学的知見を紹介しながら、有益なアドバイスを提供する。
人間の行動は「性格」ではなく「環境」で決まる
置かれている状況によって、私たちの行動は変わる。
しかし、「人間の行動は性格によって決まっている」と考える人は多い。
筆者のお気に入りの行動実験でも、被験者はそう考えている。その行動実験とは、カップルが性的な誘惑にさらされる様子を描いたリアリティー番組、『誘惑のアイランド』のことだ。
実験が始まる前、参加者は「自分は絶対に貞節を守る」と固く信じている。自分は誠実な人間だと純粋に考えているのだ。
しかし、ひとたび舞台となる別荘に入ると、そこには別世界が待っている。
熱気、太陽、酒、高級品……大量のハウスフライ効果が島中にあふれている。そして、参加者は誘惑に抗えなくなる。
状況が、意志や性格を打ち負かしてしまうのだ。
「いかがわしい男女に誘惑されるリアリティー番組にわざわざ参加してまで、自分や恋人の誠実さを確かめたくはない」と思う人もいるだろう。
だが実際には、休暇になると普段手を出さないような「火遊び」をしてしまう人は多い。
筆者(ティム)は少し前に、政府によるキャンペーンの広告制作に携わった。
「賢く旅をしよう」というキャッチコピーがついたこのキャンペーンの目的は、たとえば、普段は交通ルールに従っているのに、旅先でレンタカーを借りると飲酒運転をしがちなオランダ国民に注意を促すものだった。
状況が変われば行動も変わる。これは、まったく不思議なことではない。
ジムにいるときと教会にいるとき、パートナーといるときと上司といるとき、校庭にいるときとナイトクラブにいるときでは、私たちの行動は違う。
誰もがこの事実をわかっているはずだ。それでも、私たちは状況が及ぼす影響を低く見積もってしまう。
これは、「禁煙する」「酒量を減らす」「定期的に運動する」といった健康に関する目標を設定した場合にも当てはまる。
たいてい、私たちは意志や精神力だけに頼ってこうした目標を達成しようとする。
しかし、環境が行動に与える影響の大きさを知っていれば、もっとうまい方法を取れる。
意志に頼るのではなく、環境を変えることに注目するのだ。
たとえば、家にあるクッキーに手をつけないでいようと我慢するのではなく、こうした菓子類は買わないというルールを決める。
パートナーに対して誠実でいたい人は、ふたりで旅行に出かけて、ムードのある素敵なホテルに泊まるといい。
高級な別荘やエキゾチックな島ではなくても、こうした環境に身を置くことで、ふたりの関係は良好になるはずだ。
(本記事は『勘違いが人を動かす──教養としての行動経済学入門』から一部を抜粋・改変したものです)