三田紀房の投資マンガ『インベスターZ』を題材に、経済コラムニストで元日経新聞編集委員の高井宏章が経済の仕組みをイチから解説する連載コラム「インベスターZで学ぶ経済教室」。第78回は「大企業か、ベンチャーか?」という今どきの就活生の悩みにアドバイスを送る。
「5年で辞めるつもり」の意味
桂蔭学園女子投資部の町田倫子の姉・浩子は、大企業の機械メーカーの内定を蹴り、多様なサービスを手掛けるDMMグループに就職すると友人たちに明かす。大企業志向の後輩との対話の中で、浩子は自身の就活体験と職業観を語る。
大企業か、ベンチャーか。就職活動に臨む学生の多くが選択に迷うことだろう。1995年卒、いわゆる氷河期世代の私からすると、売り手市場の贅沢な悩みにも映る。
四半世紀前は学生の大企業志向が極めて強かった。周囲の友人たち、特に女性は大量の「資料請求はがき」を郵送し、リクルートスーツを着込んで数えきれないほど企業訪問を繰り返していた。マスコミ数社しか受けなかった私は友人らに「人生ナメてる」と叱られながら、なぜか早々に某新聞社から内定をもらい、結局、日経新聞に補欠で入社した。
日経在籍時には、インターン生や新入社員・若手記者からキャリアについて相談されることがたびたびあった。そんなとき、私はいつも「日経のような大企業で働くのは良い経験だけど、『5年で辞めるつもり』でやるといい」と話していた。プライベートでマスコミ志望の学生に相談されても、同じ趣旨の持論を伝える。
私自身が28年間も日経に勤めたわけで、これは単純な転職のススメではない。仕事に就いて数年はプロとして自信が持てるまで必死でスキルを磨くべきだ、という意味だ。無論、向き不向きはある。だから、20代の記者には「これは自分が食っていく道じゃないと思ったら、早めに転職した方がいい」とも本音で話していた。
努力が実り、どこでも食えるほどのスキルを身に付ければ、組織内で評価されないわけがない。その自信はストレス耐性にもつながる。実際に転職するかは別にして、「いつでも辞められる」と心の中に選択肢をもっていないと、不本意な人事や処遇にあった際、絶望する羽目になりかねない。
キャリアが「詰まない」ルートとは?
プロ志向ならベンチャーやフリーでスタートすれば良いという考え方もあるだろう。私は大企業での経験はそこそこ貴重な財産になると考える。日本型組織は似たり寄ったりの内部構造を持つ。社員として働くのは、それを深く知る絶好の機会だ。
いずれベンチャーに転職したり独立したりするとしても、大組織のメカニズムやそのメンバーの内在的ロジックが理解できると、勘所が見えるようになる。たとえば、誰が権限をもち、どのタイミングで仕掛ければ「話が通る」のかが読める。
ちなみに「5年たったら辞めるつもり」という表現は、私自身が入社直後に先輩記者から受けたアドバイスをアレンジしたものだ。オリジナルの方がカッコよく、「5年以内にマーケットで値段のつくプロになれ」という言葉だった。
社内の評価ばかりに目を向けず、マーケット=日経以外のメディアから依頼が来て原稿料が取れるような記者になれ、という趣旨だ。実際、その先輩記者は後にフリージャーナリストに転身した。
「大企業か、ベンチャーか」という問いに、正解はない。大事なのはどのキャリアパスが「詰まないルート」か見極め、プロとして食っていけるスキルとモチベーションを自分の中で育んでいくことだろう。転職が当たり前ではなかった時代に的確な助言を授けてくれた先輩には、今でも感謝している。