誰しも悩みや不安は尽きない。寝る前にイヤなことを思い出して、眠れなくなるなんてことも……。そんなときの助けになるのが、『精神科医Tomyが教える 30代を悩まず生きる言葉』(ダイヤモンド社)だ。ゲイのカミングアウト、パートナーとの死別、うつ病の発症……苦しんだ末にたどり着いた、自分らしさに裏づけられた説得力ある言葉。心が落ち込んだとき、そっと優しい言葉を授けてくれる“言葉の精神安定剤”で、気分はスッキリ、今日一日がラクになる!
※本稿は『精神科医Tomyが教える 30代を悩まず生きる言葉』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。

【精神科医が指南】無意識にストレスをためる人、ストレスの少ない人の「根本的な1つの違い」Photo: Adobe Stock

清濁併せ呑むというのは
大人の考え方なのか?

清濁併せ呑む(せいだくあわせのむ)という言葉がありますよね。

善いことも悪いことも、心広く、分け隔てなく受け入れることのたとえです。

人間関係でいえば、相手の長所だけでなく、短所も含めて受け入れることを意味します。

清濁併せ呑むは正論か?

そういわれると、たしかに正論のような気がします。

けれど、アテクシは最近、必ずしも清濁併せ呑む必要はないと考えるようになったんです。

なぜなら、それは“価値観の妥協”ともいえるからです。

正論と現実の
狭間にある真実

自分と相手との違いを認め、それを受け入れるのは大切なこと。そういわれると、「それはそうだよね」と思うでしょう。

しかし、長い目で見れば、価値観の相違が大きすぎる相手とは、どんなに善いところがあっても、やはり付き合うのが難しくなるはずです。

恋人同士や夫婦関係でいえば、些細な生活習慣の違いくらいなら許容できるでしょうが、自分の価値観とはかけ離れたお金遣いの荒らさや浮気などが気になるようでは、その人との関係は続けられません。

少数でも構わない

ちょっと極端な例だったかもしれませんが、価値観の妥協はストレスを生み、そのストレスが肥大化する可能性もあるのです。

だから、価値観のベースが合わない相手とは、無理して関わる必要はありません。自分の価値観と合う相手は、少数でも構いません。自分の居心地が大切なのですから。

そもそも清濁併せ呑む必要のない関係なのあれば、それに越したことはありません。大切なのは、自分の心に素直に、心地よい関係を選ぶことです。そこを大切にするべきなのです。

※本稿は『精神科医Tomyが教える 30代を悩まず生きる言葉』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。