夏野 孫さんは、初めてその存在を知ったときから今日に至るまで、僕が最も尊敬する経営者です。

「パソコンソフトの流通業を通じて、世の中にコンピューターが浸透することで、“デジタル情報革命”を起こす」という壮大なビジョンを掲げて創業し、出版事業、インターネット事業、モバイル事業と、より大きなステージへどんどん進んでいった。それだけでもすごいのに、さらに事業が成長する以上に自分自身が成長していく……。あれほどのスピード感でビジネスのステージを高めていける経営者というのは、世界中を見わたしても稀有な存在じゃないでしょうか。

井上 いるとしたら、スティーブ・ジョブズとイーロン・マスクぐらい?

夏野 だと思います。ただ、彼らは経営者というよりは、むしろインベンター(発明者)と呼ぶべき存在ですよね。一方、孫さんはジョブズやマスクのように「自分自身で革新的な技術を生み出す」ことよりも、「革新的な技術や商品で世の中を変革する」ことが得意なんだと思う。つまり、テクノロジーを社会に実装する仕組みづくりが上手い。その意味で、僕は孫正義こそが「真の経営者」だと思っています。

井上篤夫氏井上篤夫氏 Photo by Motoyuki Ishibashi

井上 ソフトバンクが携帯電話業界に参入したとき、ドコモに所属していた夏野さんは、その後の展開をどのように予想していましたか?

夏野 当時、僕はドコモの役員会で「ソフトバンクが値下げを仕掛けてきて、やがて携帯キャリアのシェアは各社3分の1ずつになる」って予言したんです。しかし、当時55%ものシェアを握っていたドコモの首脳陣は、誰もそんなことは予想できなかった。役員会の席で「そんなことには絶対にならない!」とめちゃくちゃに怒られたのを覚えています。でも、現在の携帯キャリアのシェアは、ドコモが36%、2位がKDDIで27%、3位がソフトバンクで21%。だいたい予想通りになって、ドコモのシェアは3分の1まで下がっています。(通信市場の動向について-総務省)

「資本家なんて虚業」
夏野氏が意義を唱える理由

井上 いま思えば、最後発キャリアとしてドコモやKDDIを追いかけていた頃の孫さんは、とても楽しそうでしたよね。

夏野 ですよね(笑)。僕が本社を訪ねたときも、孫さんは社長室に他社も含めた携帯電話の全機種を並べて、目をキラキラさせていました。当時はファッション、スリム、ワンセグ、カラーバリエーションなど、各メーカーから新しい3G端末が発表されるごとに機種数の充実を図っていた時期でしたからね。結果として、孫さんは大勝負に出て、見事に勝利を収めたわけです。きっと事業家としては「やり尽くした、達成した」と思っていたんじゃないでしょうか。かつてのように「自分自身が最前線に立って、硬直化した世の中をかき乱してやる」みたいなことには、もう関心がないのかもしれないと思います。