写真:自動車,日産Photo:NurPhoto/gettyimages

日産自動車は約20年前、いわゆる「ゴーン改革」でシビアな取引先の見直しを行った。それが2024年、日産は「供給網の安定のため」に河西工業を救済するという。これは時代の流れというべきか、はたまた日産と河西工業の苦悩の表れというべきか――。詳しい業績や同社ならではの特殊事情も踏まえつつ、「生き残るサプライヤーの条件」を考えてみよう。(未来調達研究所 坂口孝則)

ゴーン改革後20年を経て
日産が河西工業を救済へ

 自動車メーカーで働いていた頃、筆者は調達部門に属していた。そこで短い間だが、河西工業を担当したことがある。当時の同社を取り巻く状況は、日産自動車を経営再建すべくカルロス・ゴーン氏がトップとなり、大鉈(なた)を振るった直後。日産と河西工業の資本関係は解消され、河西工業はいわゆる特定の系列を有しないメーカーとなっていた。そんな同社に対して筆者は、率直に良い記憶しかない。工場はいつもきれいに清掃され、やりとりする担当者は真摯(しんし)かつ紳士な対応だった。当時の河西工業はまさに、「日産だけには頼れない、かといって他メーカーへも入りきれていない、“踏ん張り時”」だった。

 あれから時を経て、先日、日産が河西工業に資本援助を行うというニュースが飛び込んできた。日産は“元”系列サプライヤーである河西工業に約60億円を支援し、資本関係が復活するという。正式には6月に開催する株主総会で承認後に実施されるが、9月には日産出身の古川幸二氏(現ジヤトコ専務)が社長に就任する予定だそうだ。

 約20年前のゴーン改革では、日産の工場閉鎖や2万人以上の人員削減、そして「系列解体」とも言われたシビアな取引先の見直しが行われた。それが2024年、日産は、今度は「供給網の安定のため」に河西工業の支援に回ったという。これは時代の流れというべきか、はたまた日産と河西工業の苦悩の現れというべきか――。詳しい業績や同社ならではの特殊事情も踏まえつつ、「生き残るサプライヤーの条件」を考えてみよう。