元東京都知事で作家の石原慎太郎氏は波乱万丈で華麗な人生を送り、人に自慢できるような多くの逸話も残した。だが死の宣告を受けるとうろたえたという。一方で自慢を嫌った著者の妻は、死の宣告を平然と受け入れた。いい最期を迎えるための日々の生き方とは。本稿は、樋口裕一『凡人のためのあっぱれな最期』(幻冬舎)の一部を抜粋・編集したものです。
自慢話をする人を
何よりも嫌っていた妻
妻は自分が自慢をしないせいか、自慢をする人を何よりも嫌った。
妻の自慢嫌いは、どうも、ふつうに言う「自慢はよくない」とは違っていたような気がする。
一般には、自慢がよくないというのは、「相手を不快にしないように」「謙虚でいるのが望ましい」「仲良くするためには、相手を立てる必要があるのであって、自分が目立つのはよくない」という論理だと思う。
だが、妻は、相手を不快にするようなことも平気で言ったし、謙虚ではなくかなり自己主張が強かったし、仲良くするために言いたいことを我慢することもなかった。
自慢をしないというのは、妻にとって仲良くするための手段ではなかった。「自分は並みの人間ではない、優れた人間だ。それをわかってくれ」と考えること自体が許せなかったのだと思う。
もちろん、突出した能力を持っているのであれば、それは心から認める。だが、それほどではないのに、あたかも力があるように錯覚し、それを人前で口にしようとする、そのような態度を妻は嫌った。
きっと妻は「自分は平凡な多くの人間の中の一人だ」と言い聞かせていたのだと思う。自慢をしないだけでなく、図に乗らないように言い聞かせていたのだと思う。そうすることで菫(編集部注/筆者は、夏目漱石の句『菫ほど小さき人に生まれたし』が、亡き妻の生き方を表していると感じている)のような生き方を貫いていた。
自慢したくなることがあっても、「いや、私は平凡な人間、我が家は平凡な家庭だ。誰にも自慢できるようなことはない」と言い聞かせていたのだと思う。
妻とは対照的な人生を歩んだ
「昭和の風雲児」だった石原慎太郎
日本人なら誰もが知る政治家・作家に石原慎太郎がいる。戦後日本が経済力をつけて豊かになり始めた時代の若者の無軌道な生活を描く小説『太陽の季節』を発表して芥川賞を獲得。
その後、作家活動を続けながらも政治家への道を進み、映画界の大スターになった弟・石原裕次郎とともに戦後日本を牽引した。そして、1999年からは4期12年間にわたって東京都知事を務め、2022年に世を去った。
その波乱万丈で華麗な人生は、死後出版された自伝『「私」という男の生涯』(幻冬舎)にくわしく書かれている。