井上篤夫
孫正義がブチギレた!「ガソリンかぶる」「100円ライター持っとるでしょ」役人に詰め寄ったワケ
新世紀を迎えた2001年。大容量のデータを高速で通信できるインターネット回線、ブロードバンドの時代がやって来る。孫正義はそれを見て取った。幾千、幾万の、映画や音楽、テレビ、ゲームソフトをインターネットを通じて享受できる現在を、実現する足がかりを造ろうとした。当時のトップエンジニアたちはそれに否定的。だが、孫は突き進んでいく。※本稿は、井上篤夫『志高く 孫正義正伝 決定版』(実業之日本社文庫)の一部を抜粋・編集したものです。

孫正義がカチン「何を考えとんのか、お前は!」→弟に伝授した「不思議な割り算」がめっちゃ参考になる
孫正義の祖父たちは、小さな漁船に乗って韓国から佐賀県鳥栖に渡ってきた。初めに住んだのは、国鉄の所有地に勝手にトタン板で建てたバラック。国鉄の職員に度々焼き払われたが、その度に建て直す。やがて国鉄も諦めた。踏まれても蹴られても生きてきた逞しさを、孫は誇りにしている。30代の孫が弟に伝えたこととは……。※本稿は、井上篤夫『志高く 孫正義正伝 決定版』(実業之日本社文庫)の一部を抜粋・編集したものです。

病室の孫正義は孤独だった。「夜、ひとり泣きました」ソフトバンク草創期の闘病生活
1年で社員数が30人から125人に増え、売上は20億円から45億円へ。1983年、ソフトバンクは破竹の勢いで成長していた。社長の孫正義は、当時まだ25歳。昼夜問わず働き続け、体がだるいのは多忙のせいだと思っていた。だが検査を受けたところ、当時は不治の病と見られていた慢性肝炎にかかっていることを告げられてしまう。絶望する孫を勇気づけた1冊の本とは?※本稿は、井上篤夫『志高く 孫正義正伝 決定版』(実業之日本社文庫)の一部を抜粋・編集したものです。

【ビル・ゲイツ独占取材】私と孫正義が見据える「AIの未来」について、初めて明かそう
会社経営は巧みでも、後継者選びに苦戦する人がいます。マサがどのようにそれを進めるか……。

会社経営は巧みでも、後継者選びに苦戦する人がいます。マサがどのようにそれを進めるか……

【ビル・ゲイツ独占インタビュー】孫正義の素顔を語る「マサの信じられない寛大さに私は救われ続けた」
“投資の神様”ウォーレン・バフェットを引き合いに出して、投資家・孫正義についても語ってもらった。

投資の神様ウォーレン・バフェットを引き合いに出して、投資家・孫正義についても語ってもらいました。

還元率200%でどうだ?PayPayのポイントをめぐる孫氏のむちゃぶりにLINEヤフー会長・川邊はどう対応したか。

杓子定規になる必要もないし、エリートを目指す必要もない。いかがわしいと思われているくらいが、自分の魅力を最大限に発揮している状態だ。

孫正義から学んだ「感情の見せ方」や「リーダーシップの極意」をLINEヤフー会長の川邊健太郎氏が語る。仕事の現場で生かせる知恵が満載だ。

孫正義ウォッチャーを自認するGMOインターネットグループの熊谷正寿社長が「苦い思い出」を振り返ってくれました。

偉大な経営者2人の共通点を弘兼憲史が語る。孫正義が力を注ぐ「人工知能に負けない人類」の育成にも話が及んだ。

弘兼憲史が体験した「ジジ殺し」の素質。同じ素質を持った名経営者の実名も挙げてくれた。

ゴルフやワインを通した2人の華麗なる交流を振り返ってくれた。

「孫正義の最側近」を5年間務めた大槻利樹氏が、懸案の「後継」について語る。

ソフトバンク元社長室長が、最側近として仕事をした5年間を振り返りる。孫正義の「信頼を得る人」と「信頼を失う人」は“仕事の進め方”に違いとは。

日本を代表する名経営者が集結していたソフトバンクの取締役会ではどんなやりとりが交わされていたのか。とりわけ重要な役割を果たしていた人物とは?

インターネットの父・村井純が語る「孫正義 vs NTTの内幕」。

そもそもボーダフォンの業績が落ちていなければ、革命は起きなかった。巡ってきたチャンスをどう生かすか?

NTTドコモで「iモード」を立ち上げた夏野剛氏に、しのぎを削ったソフトバンクの総帥である孫正義氏を語ってもらった。
