元消防士が株式投資で築いた資産は、なんと8億円! 三重県在住の専業投資家・かんち。49歳で早期退職してからというもの、生活費のすべてを株の配当金でまかなっている。その配当金の総額は、なんと年間2000万円超え。高配当株と株主優待株を組み合わせた「買ったらほとんど売らない」という手間のかからない“ほったらかし投資術”は、初心者の新NISAにも参考になる。「その投資術を知りたい!」と、長年著作の刊行を期待されていたものの、すべて断ってきた投資歴40年のベテランが、初めて著した話題の書『ほったらかしで年間2000万円入ってくる 超★高配当株 投資入門』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものをお送りする。
消防士になって
株式投資を開始
私は消防士になってからすぐ、20歳を過ぎたころに株式投資を始めました。なぜ、そんなに若くして株を始めたのか?
私の半生を振り返りながら、株式投資をすることになった経緯についてお伝えすることにします。
私は1961年に三重県内の地方都市で生まれました。生まれてすぐに名古屋市へ引っ越し、そこで20年ほど過ごします。
名古屋の短大を卒業後、まずは名古屋市内にある自動車販売店に、営業として就職しました。しかし、けっして優秀な営業マンとはいえませんでした。
思いもよらぬ
親父からの電話
最初こそ親族が車を買ってくれて営業成績は上がったのですが、そんなやり方はすぐに通用しなくなります。
「これからずっと車を売り続ける自信はないなぁ」なんて思いあぐねていたある日、親父から電話がかかってきました。
「三重のばあちゃん(父方の祖母)の家に住んでくれないか」と頼まれたのです。というのも、祖父が亡くなったことで、祖母が1人暮らしになったからでした。
祖母の家の
ちょっと特殊な事情
親父は、祖母の家から離れて暮らしていたので、高齢の祖母の1人暮らしに不安を感じていたのと、ゆくゆくはその実家を私に継いで欲しいという意図からの打診だったようです。
突然の申し出に少し悩みはしたものの、私はその話を引き受けることにしました。
祖母の実家には、少し特殊な事情がありました。戦前、「遊郭」を営んでいたのです。その名残りから、それなりに広い土地に大きめの家屋が建っていました。
転職先を決めず
名古屋から三重に移住
終戦直後の日本では、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指示による改革として、遊郭の制度が撤廃になりました。
これにより遊郭を畳んでしばらく経っていました。以前の面影はもう残っていませんでしたが、かつては遠くからお客さんが訪れ、活気があったと聞いています。
そんな土地と家屋が手に入ったのは、ラッキーといえばラッキーなことです。勤務地の名古屋まで通えない距離ではありませんでしたが、自動車販売店の仕事はスパッと辞め、転職先を決めないまま三重に移り住みました。
都会出身の妻の
突然の田舎暮らし
急に大都市の名古屋から三重の田舎暮らしへと変わりましたが、すぐに慣れました。もとより性に合っていたのかもしれません。
それより大変だったのは、私の妻だと思います。私が名古屋の短大に通っていたころにディスコで出会った妻は、大都会の名古屋出身。
私が三重に移り住んでからほどなく結婚したのですが、最初のころは慣れない田舎暮らしで戸惑ったと思います。
大都会から
田舎暮らしで40年
きらびやかな大都会から、夜になると外は真っ暗で、周りは高齢者ばかりの田舎暮らしになったわけですから。
それでも子どもを授かり、気がつけば近所の奥さんたちと井戸端会議をするようになっていました。
いつの間にか私より地域に溶け込んで、40年にわたって一緒に連れ添ってくれているのですから、本当にありがたいことです。
※本稿は、『ほったらかしで年間2000万円入ってくる 超★高配当株 投資入門』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。